社会性筋力の喪失
今日もまた仕事のコードレビューでイラッとしたコメントを書いてしまい余計な手間を増やしてしまった。反省。
交通事故も、交通規制を守らないひとが一人いるだけでは起きないが二人いると起こる。仕事の議論もイラッとしたひとが二人いると揉める。そのうちの一人になってはいけないが、人間ができてないので時折なってしまう。
少しまえ、エーアイに語感を和らげてもらう社会性フィルタについて書いた。今回も社会性フィルタの適応をサボったのがいけなかったかな・・・と一瞬考えたが、マジレスとして社会的フィルタは本質的には風刺であり、そのラインを超えてはダメである。要するに microaggression ですからね。ただ現実問題としてイラッとした時に microaggression を発動させる一番表面的には無害な方法なのも事実で、フロドの指輪に似た禁断の誘惑がある。
COVID 末期に Quiet Quitting という現象が流行った。これは、今思えば COVID 的というか WFH 的な現象で、社会性フィルタに通じるところがある。仕事がオンラインになればなるほど社会性フィルタや Quiet Quitting はやりやすくなる。人間性への敬意を書いたコミュニケーションは画面越しのほうがやりやすい。脊髄反射や本音を画面のこちら側に隠しておけるから。
ただ人間性を軽視するとコミュニティへの所属感、チームの結束感や相手との親密さは失われる。仕事のやる気もさがる。なので眼の前の仕事をそれなりに持続性をもってやりたいなら、これらは望ましい態度ではない。Quiet Quitting は quit してるので持続性は期待してないから仕方ないとして、社会性フィルタはダメ。わかってる。
ただしょうじき、エーアイの指輪はいちどつけたら外すのめんどくさいよね。AI チャットのせいで若者ちゃんと人間関係鍛えられないのではという懸念を多くの年寄が感じているが、若者に限った話じゃない。仕事のめんどくさいコミュニケーションしたくない。肌のあわない苦手なひとと話したくない。にこやかにイチからきちんと説明して説得して協調とかしたくない。そんな気分があるからこそ Workslop が生まれる。社会性フィルタとか呼んだところで slop に違いはない。自分は話したくないんですよそもそも。
ここで踏みとどまって真人間として振る舞い社会的筋力を鍛えるのが会社員の仕草であり、出世パスであり、大人になるということだった。しかしエーアイや画面や大人気ない国家首脳の皆さんなど今日的な現象の数々がこうした筋トレへの意欲を過去にないほど削いでいる。
“Bowling Alone” (邦題: “孤独なボウリング”) という昔書かれた超有名な社会学の本があり「アメリカ人最近孤独らしいんですけどなんでですかねー、調べたけどテレビくらいしか原因はなさそうですねー」と書いていた。しかし四半世紀前は平和なもんだったね。 すくなくとも職場というリアルワールド社会性強制ギプスは完全に健在だった。アンチ社会性筋トレマンガ Dilbert に面白さを感じられるのも、リアルワールドでの社会性をある程度は強制されているからである。
つまり: めんどくさい人間関係を生産的に乗り切る社会性筋力はかつては雇用を通じ強制的に鍛えられたが、時代の流れがその強制力 (“friction”) を流し去ってしまった。だからかなりやる気を出さないと社会性筋トレができない。しかし社会性を鍛えられていない人間から構成された社会は果たして望ましいものなのだろうか。
この反語にはしかし、安易に頷くことはできない。先のコードレビューで起きたような衝突(レースコンディションによるクラッシュを無駄な動機を挟むことで性能劣化の問題に転化するコード書くんじゃねーお前のバグがこっちに来るじゃねーか!みたいな揉め事)を、ソフトウェアエンジニア的に解こうとすると 1) テストを強化しましょう 2) プロセスを強化しましょう 3) ベストプラクティスを文書化しましょう 4) ベストプラクティスをフレームワークにエンコードしましょうみたいな話になり、これらはさほど社会的な解決でなくはないか。いやプロセスは社会的かもしれないが、一番ダメなやつじゃん? 社会的じゃないほど望ましいじゃん。
そのようにして出来上がったチームやコードベースは衝突/friction のすくないなめらかなシステムに違いはないが、必ずしも社会的・人間的でない。他人の社会性(のなさ)を補ってくれるシステムは自分の社会性(のなさを見逃して欲しい気持ち)も抑圧される。個人的にはちょっと衝突リスクがあってもゆるいコードベースの方が働きやすい。しかし時々今日のようにイラッとしてやる気を損なう欠点がある。うまい話はない。結局、抑圧的システム化と人間的余白と苦手な同僚との付き合いのバランスをとるゲームのスキル獲得がソフトウェア開発者の社会性筋トレだということだろう。
エーアイはこのバランスを破壊した。そして workslop のような従来の社会性を損なう営みを産んだ。こういうのは目の当たりにすると腹が立つ一方、自分も誘惑に負けてやりがち。エーアイを火山のマグマに投げ捨てることは出来ないから、何らかの形で新しい秩序を作り出す必要がある。今日はイラッとしてすまなかったけど指輪は使わず痛みを感じることが出来た。やる気が回復したらなんか生産的な施策を考えます。はい。