防壁としての楽しい趣味
趣味って、仕事の辛さを忘れられるくらい楽しいやつがいいよね。そんな当たり前を実践したいというはなし。
仕事の辛さについて考える。
仕事には波があるので、楽しいこともあれば辛いこともある。自分は仕事の辛さと戦う道具としてもっぱら運動に依存してきた。走って脳内麻薬を出し、いい気分になった勢いで一日を乗り切る。
ただ嫌なことはかならずしも散らばっておらず、ポワソン分布的に連続することがある。辛さの波が一度に打ち寄せると運動の脳内麻薬だけでは心を守りきれず、憂鬱さに飲まれて何もできなくなる。別の仕事に逃げだしたくなる。
課外活動。
自分は趣味のテック活動を「課外活動」と呼び、その時間は少しでも将来の仕事・キャリアの足しにしたいと思ってきた。またこうしたキャリア志向の「課外活動」には辛い仕事からの逃げ足を助ける期待もあった。若い頃ならじっさい少しは助けになっていたかもしれない。
けれど、今となっては何ら足しになっていない。活動の絶対量が少ないせいもあるし、仕事からの期待値が相対的に高くなっているせいもある。
こうした「課外活動」は、趣味と仕事の境目を曖昧にする。仕事の趣味の癒着は、はじめは機能していたかもしれないけれど、やがて効能が失われた。時が経ちスキルの劣化が進むにつれ将来の仕事に繋がる「課外活動」を見つけるのが難しくなって、眼の前の仕事の辛さから逃げる道筋が見えなくなって、暗い気落ちになるばかりだった。もはや「課外活動」は役に立たない。ここ数年でそう結論した。
逃げ道が閉ざされたように感じ、辛さの波を一層しんどく感じるようになった。
他の見方もある: 逃げ足がどうであれ、逃げてばかりは良くない。仕事が辛くて逃げるのを繰り返すうちに、自分は社内ジョブホッパーになってしまった。ホップするたび積み重ねが消えて、一からやり直しになり、段々と仕事の粒が小さくなっていく。
仕事で成果を挙げたいなら、多少の辛さがあっても踏みとどまり、積み上げる場面があってよい。けれど仕事の辛さを前に、どう踏みとどまれば良いのだろう。そのことをしばらく考えていた。海軍特殊部隊出身コンサルの書いた根性論を読んでみたりとか。でも自分はぜんぜん根性もないし、国のために戦っているわけでもない。
とはいえ、自分の仕事はアフガンでの人質救出みたいなハードコアでもない。嫌なことが続き辛いことがあるとはいえ、九時五時タダ飯つきのデスクワークである。愛国心やストイシズムを頼らずともなんとかなるのではないか。
そこで軍人よりは身近な、世の中の仕事熱心でない会社員がどうやって日々を凌いでいるか考える。と・・・人々は趣味を楽しんでいる気がする。
このと「趣味の楽しさ」は仕事の辛さから心を守る防壁となっている。
自分は楽しい趣味のための時間を仕事やキャリアに近づけすぎた。そこに仕事が冴えなさが加わった結果、冴えなさが楽しさをかき消した。防壁が崩れている。
趣味は辛さから心を守る防壁になれるはずだった。毎日ランニングをして脳内麻薬を欠かさないように、趣味を通じた日々の楽しさが仕事には必要だった。けれど自分はそれを逃げ足のための放課後の筋トレにしてしまった。
「趣味を楽しむ」なんて、できる人は当たり前のようにやっている。ただ自分は金銭的重圧、世帯主的責任、技能劣化の不安などをこじらせすぎて、仕事と無関係な趣味を楽しむことができなくなっていた。
どうしたら趣味の楽しさを取り戻せるのだろうか。自分が楽しさを見いだせる趣味はなにか。
「楽しさのための趣味」というレンズでみると、これまでは趣味に数えていなかった「暗黙の趣味」に気づく。たとえば料理。炊事を担当するのは家事分担だからと趣味に数えなかったけれど、自分は割と楽しんでいる。YouTube で料理 channel をいくつも sub してめちゃ観てるし、趣味だよな。
ニュースやソーシャルメディアなどインターネットでぶらぶら時間を潰すのも、生産的ではないにせよ趣味の側面は大きい。
そして料理もインターネットも、楽しさにフォーカスするなら今とは少し違うアプローチがあるかもしれない。ただ、どちらも本命ってかんじじゃないね。
本命の趣味はなんだろうと考える。
最初に思い浮かぶのは podcast. 聴くだけじゃなくて、やるほう。これは論文を読むという「少しは仕事に役に立つ活動」を後押しするためにはじめたけど、大して仕事の役には立ってない。が、楽しさはある。付随する論文読みも楽しいし、向井さんと話をするのも良い。この楽しさを追求していいんじゃないか。
つぎはプログラミングだけれど・・・これは際どいなと思う。仕事に近すぎて、楽しみとしての純度が下がりがち。でも、プログラミングは趣味にしたいよね。プログラミングが好きでありたい。理想として。どんなプログラミングな楽しいのかは、考える余地がありそう。
ブログ。昔は趣味だったはずだけど、今はもう主要な趣味とはいえないね。精神衛生のためや習慣としてやっている。運動に近い。まあ、趣味だろうが習慣だろうかぼちぼちやります。
ブログにせよ Podcast にせよ、知らないテクノロジのことを調べて書いたり話したりするのは割と好きで、これはなんなのだろうね。ある種の調べものが好きなのだろうか。
仕事と趣味の関係。
仕事を無理に拒絶することもない。仕事のおかげで興味を持てたこともある。そういうのは、やればいい。たとえば読みかけの Trustworthy Online Controlled Experiments とか、自分は実験基盤をつくることはないので有用性は低いが、興味深いテクノロジだから読み終えたい感はある。
ただし役に立てたい期待に引きずられて楽しさが犠牲になるのは困る。やってみてどんな気分になるか次第。あまり深く考えないでおこう。
仕事に役に立つこと、すなわち「勉強」というやつはしなくていいのか。というと、良いか悪いかはさておき、どうせもう何年もしていないのだから、その現実を受け入れる。「勉強ができる自分」という期待は let go する。
世の中には老後の資金を貯められる人とその日ぐらしの人がいるように、プログラマにも将来に備えられる人とその日暮らしのスキルで生きる人がいる。自分は、今となってはその日暮らし側である。
その日暮らしをする人も、臨時収入があれば貯金をすることはあるだろう。積立ができる稼ぎの仕事がみつかることだってある。その日暮らしプログラマも、心に余裕ができたならその時は勉強でもすればいい。
ただしそこには心身の健康という大前提がある。そして仕事をしながら心身の健康を保つのは必ずしも簡単ではなく、睡眠、運動、食事、家族仲、趣味といった複数の防壁を張り巡らせて健康を守るのが優先。趣味以外は今のところ問題ないので、しばらくは趣味の楽しみを軌道に乗せるべく活動していきたい。