短い旅行より帰宅。運転のためにキメたカフェインの都合で眠れない夜に一年を振り返る。今年は、色々なことを試したがうまくいかず、そのほかにもトラブルの多い年だった。
まず今年のはじめごろ、仕事を真面目にやって出世できないかと考えた。子を私立の学校に入れる可能性が生じ、金を稼ぎたくなったため。そこで数カ月のあいだ真面目に・・・というのは、今までと違う優先順位と労働時間で・・・働いてみたが、挫けた。仕事に頭と時間を使いすぎて業務のイヤな部分をデタッチできなくなり、精神衛生を著しく損ねてしまった。とても続けられない。
挫ける速さには我ながら感心した。自分は出世に向かないボンクラだと悟り、余暇活動でもしながら楽しく暮らそうと改心。Podcast およびブログ(これ)を再開した。労働は以前の勢いに戻した。
いちおう勤務先の名誉のために書いておくと、子供一人を私立に入れるくらいの給料は貰っている。ただバッファが欲しかった。なおこの挫折とは無関係に私立の話は立ち消えとなった。
春を過ぎたころ、いつもように HN で他愛もないコメントを書いていたら、それを読んだどこかの会社のエンジニアからメール。「おまえわかってんじゃん!ちょっと話しない?」というので、何かと思ったら hiring のお誘いだった。聞いた仕事は面白そうだしこれも縁かと面接を受けることにした。ただ冷静に考えるとコーディングクイズを突破できる気がしないので、一カ月くらい待ってもらい LeetCode で準備のうえ臨んだ。
練習の甲斐あってインタビューは通過し、いちおう VP (部長) の話も聞いとく?というので聞き、あとは肝心な給料の話かと思っていたら返事がない。つつくと会社の都合で採用全体が止まっているという。そのあとも音沙汰なく、しばらくのちに同社のレイオフを知らせる報道があった。あれまあ。さほど積極的に転職したかったわけでもなく給料がバーンとあがるなら考えようという程度の甘い見通しだったので、忘れることにした。想定給料が見られなかったのは残念だけど仕方ない。
LeetCode で転職修行するのがどういう感じかわかったのはよかった。つまり: 嫌いではないがそんなに好きでもないし、他に何もできなくて大変。日頃からコーディング筋をつけておこうかと Codeforces を試したが、早々に脱落した。あたしプログラミング向いてないんですよ・・・。
夏。二年ぶりくらいで日本に帰省したら、旅先で COVID に感染してまった。発熱など一通りの症状があり辛かったのみならず、家族の旅行を台無しにしてしまい心苦しかった。隔離施設に入ったのは、経験としては興味深かったが、十年分くらいのコンビニ飯的弁当を延々と食べさせられ食傷。とはいえ日本の COVID はその後 surge して隔離施設も満室になったと伝え聞くから、入れただけマシと言える。
帰国後 2 週間くらいは体調が悪くしんどかったものの、最終的には回復。後遺症がなくてよかった。
日本からの帰国後、妻子および自分に虫刺されらしき腫れと痒みが発生。US 帰国後に一度外泊があったため bed bug を疑って色々と対処する。この一年で一番エネルギーを費やしたものが何かといったら、これだね。害虫対策。数カ月もの間、この見えない敵を相手に大量の資金、時間、精神力を溶かした。EPA, CDPH などオンラインの authoritative なサイトを読み漁り、専門書も読み、現実的な範囲で手を尽くした。家族は皮膚科にもかかった。件の害虫の発生で説明されるような頻度での痒みは一カ月くらいで落ち着いた。家族には最近も断続的に腫れや痒みが観測されているが、そもそも自分たちはアウトドアで過ごす時間も長く家の周りもまあまあ草なため蚊など他の虫刺されと区別がつない。虫とは無関係な蕁麻疹やできものなどの肌トラブルもある。だから最低限の防御だけを残し、問題は解決したことにしている。
なお、これだけ手を尽くしたにもかかわらず bed bug の実物にお目にかかることは一度もなかった。なので、本当に bed bug がいたのかどうかは藪の中である。Bed bug は、発生しているなら高い確率で実物を目撃するとされており、多くの駆除業者は現物を確認するまで薬物散布などの対策は打ってくれない。自分の中では「当初はいたが努力によって撃退した」ということにしている。
対策と調査の副作用で bed bug に異常に詳しくなった。詳しくなってわかったこととして、オンラインの体験談はだいたいゴミである。業者もわかってないケースが多い。ぼったくり業者、役に立たない製品も沢山ある。EPA のようなまともなサイトを読もう。あと近所の方で困った際にはご相談ください。
九月。車にはねられた。いやー死ぬかと思ったねマジで。一カ月以上、体のあちこちに痛みがあった。 勤務先では春に出社が始まっていたがしばらく通勤する気が起きず、痛みが治った後を含め二か月くらい自宅勤務をしていた。先月ようやく重い腰を上げて自転車を買いなおし、通勤を再開した。
体が痛いと何もする気が起きず、仕事をなんとかこなしつつ漫然と過ごしていた。Codeforces が途絶えたのもこれ(と害虫対策の疲労心労)が一因。しかし記録をみると Podcast は続けており、我ながらインターネット芸人魂がある。
インターネットといえば、雑談相手を求め Twitter を真面目にやろうとして、挫けた。今思えば新社長就任とは無関係に単なる気の迷い、気の散り、時間の無駄だったと思う。まあ時間をムダにするのはソーシャルメディアの本質なので別にいいんだけど、自分の求めていたヒマ潰しではなかった。それを改めて確認できたのは、よかったといえばよかった。
一方で COVID 時代の友人関係のありかたは、妻子あり中年の友人関係の在り方とあわせ考えているテーマなので、何らかの形で探索・気の迷いは続けていきたい。
こうした様々なトラブルおよび雑念の影響で集中力がなく、もともとパンデミック突入以降に破綻していた労働への姿勢を立て直せていなかったせいもあって、仕事は不調だった。チームでの tenure が長いおかげで経験で目先の作業をこなすことはできたが大きな成果を出すことはできず、むしろ段々と目先の雑事の比率が増えてしまって行き詰まり、やる気も下がってしまった。これはチームやプロジェクトのせいというよりは自分の数年にわたる気の散りの帰結なのだが、そうはいってもやる気が起きない事実はどうにもできなかった。
そこで気分を入れ替えるため、社内求人をあたって他のチームに異動することにした。来年の頭から他の部門で働く手筈。仕事は相変わらずアプリ業だけれど、環境を変え気分一新で働きたい。
そういえば前回の異動も子供ができて育休をとったあと、うまく仕事に復帰できなかったのがきっかけだった。我ながら人生の荒波を乗り越えるのがヘタ。つぎの危機ではもうちょっと踏みとどまれるよう、普段から姿勢の乱れに気を配っていきたい。
総体として、外的要因および自業自得で気の散った一年だった。集中力、生産性ゼロ。特に仕事はひどいものだった。そんななか Podcast を再開できたのと、久しぶりにブログをはじめられたのはよかった。これらは、仕事の視点では気の散り要素でしかないけれど、自分の人生にとっては大事な趣味だと思い至った。趣味重要。
いま振り返るに、これらの気の散りは 1) パンデミックの何もできない内向的生活の反動と 2) 一部中年にありがちな自分探し系気の迷い (aka. midlife crisis) が重なった結果だったように思う。だとしたら、あとに禍根を残すような大きなやらかしに至らず、生産性が低いくらいで済んでよかったと思うべきかもしれない。Great Resignation と突然のテック不景気が重なって惨事に至った可能性・実例はあるわけだからね。
家庭はというと、ここに書くことは特にないけど、まあぼちぼちやってます。夫婦関係は重視したほうが良いというアイデアはそれなりに続行中。子供も元気です。
来年はこんな粗悪 reality show ドラマのない、平和な一年でありますように。