仕事について考える時間

このごろ仕事のことを考える時間がないなと思う。もちろん勤務時間中は仕事のことを考えてるんだけど、そういうのじゃなくて、一歩さがってよく考えるような時間。

仕事が順当でなくなることはよくある。はっきりと行き詰まることもあるし、なんとなく調子が下がっていって気がつくと前に進んでいないこともある。それでも目先には表面的な仕事があるので、気をつけないと自分の不調に気づけず、延々と目先のどうでもいい仕事に手を動かして肝心の大仕事が進まない。それどころか状況が悪化していくこともある。たとえば締め切りが近づくにつれ選択肢は狭まっていく。

だから定期的に一歩さがって自分に問う必要がある:いま自分の仕事は順調なのだろうか・順調でないとしたら何が原因で、どう対処すべきなのだろうか。仕事を個人的にレビューすると言っても良い。

独身だった遠い昔、これは当たり前の所作だった。仕事しかしてない身分だったので、たとえば食事をしながら仕事のことをぼんやり考えているのは普通だった。「仕事のことを考える時間がない」という事態を想像するのは難しかったと思う。しかし家事子守という second shift を抱えハードコア九時五時の毎日を生きる今、業務時間外で仕事のことを考えるのは難しい。仕事が終わった瞬間から、たとえば晩飯調理の手順について考え始めている。そのあと食事をしたらもう子を寝かせる時間。自分は一緒に寝てしまうのでそこで一日が終わる。次の日は早くから起きるけれど、そんな朝から仕事のこととか考えたくない。朝くらい課外活動させてくれ。Podcast 準備で論文読むとかさ。あるでしょ。


自分は仕事のレビューを勤務中にやるのが得意でない。埋め込まれた環境から物理的に距離を置かないと、目先の仕事から注意を切り離せない。たとえば自分は毎週金曜日の仕事に weekly review の時間をとっているけれど、普段の仕事と連続していているとなんとなくタスクのリストを shuffle するだけで終わってしまい、批評性が生まれない。

家はどうかというと、家事をしながら仕事のことを考えることはゼロではないが、仕事の空気は押し出されがち。家には家の気圧がある。

なんとか時間を確保しようと、以前は夜や週末に時間を使っていた。たとえば子供が寝たあとに散歩をしながら考え事をしたり、週末の朝コーヒー屋にでかけたりしていた。あとは通勤中に考え事をすることもあった。でもここ数年の大きな生活の変化で、こういう時間は全部どこかに行ってしまった。パンデミックの最中は仕事どころじゃなかったので気がづかなかったけれど、いざ日常が帰ってくると失ったものに気づく・・・ことすらなく、ただうっすらと息苦しい。最近ようやく思い出した。そういえば仕事のこと考えてないじゃん、みたいな。

仕事のことを考えないと、仕事から関心が薄れる。関心が薄れると考えない。そんなループで仕事のどうでも良さが増していく。家族がいる身で仕事のことばかり考えているのが良いとも限らないのである程度の detachment は必要だけれども、あまりに関心が下がると仕事の成果がでないので、それはそれでよくない。バランスが必要。今はあまりに関心が足りていない。関心が低いので深刻さが沸かないところ、長い Thanksgiving 休暇にあわせがんばって気にかけようとしている今。なお、今は朝 5 時です。


仕事について考える時間を仕事の外の日常に取り戻すべきなのだろうか。あまり良いアデアには思えない。家には家の優先度があって、そこに仕事を持ち込むと摩擦が起こる。それよりは、なんとか業務時間中にレビューできるよう工夫する方が良いのではないか。たとえば在宅勤務の金曜日に半日くらいコーヒー屋に行ってみるとか。これに限らず WFH を活かすのは良い気がするな。出勤のある日も、ランチはいつものオフィスから離れた場所へ、ノートなりラップトップなりを片手に行ってみる。あるいはランチはスキップして、そのぶんコーヒーブレイクに散歩する。

目先の仕事に使う時間が減ってしまうが、それは仕方ない。場合によってはなんとかしてもう少し勤務時間を捻出できないか工夫してみても良いかもしれない。朝、子の遅い食事の終わりを待たずにさっさと出勤してしまうとか。仕事と家を混ぜるよりは、仕事の家の境界を交渉する方が健全というか、チート感が少ない気がする。ハードコア九時五時だと現状の給料を正当化できないんですよ、とかいって。

日常でも、たとえばジョギング中に podcast を聞くのは諦めて仕事のことに頭を使う日があっても良い。あと交通事故で自転車が壊れて以来出勤意欲および手段を失いほとんど WFH してるんだけど、いいかげん自転車を買って所定の日数は会社に行ったほうが良さそう。通勤という時間は、無駄といえば無駄なんだけど、考え事バッファとしてあってもいい気がする。


仕事に限らず、自分からは「考える時間」が失われているなと思う。前のブログの目次を見ると、2020 年の 2 月と 3 月の間には明らかな頻度の断然があり、それは回復していない。今となってはどうやってそんなにたくさん書いていたのか想像すらできない。そういえば会社で昼休みに書いていたこともあった気がするな。家だとそういう切り替えができない。自分は会社オフィスのある生活に最適化された旧世代なのだろうね。まあ家は狭いので仕方なし。