ここ 10 年くらい年末に annual review 的なものを書いている。そうした記録や blog などを読むと、昔の自分は随分と心を病んでいる、というと大げさだけれども精神衛生はあまり優れていなかったなと思う。昔の日記も探すとどこかにあるはずだが、それに至っては怖くて読めない。
人生に思い悩むのは若さの特権と言えなくもないけれど、鬱っぽいと日常の生産性をすごく下げてしまうので程々にしたほうが良い。グジグジしている時間というのは何も前には進んでいないし、そうした気分からの現実逃避にマンガ読んだりしててもやはり前には進まないので、自分のしょぼさを、例えば他人と比べて失望したり絶望したりで消耗しているのはよくない。持てる駒の範囲でベストを尽くしていると信じ、できる範囲で前に進むほうが良い。他人の姿がくっきり見えるこの時代に、それは未だにしばしば難しいことだが。
という心境に至れたのは、ひとつはやはり運動による脳内麻薬の力であり、これがないと再び depression になってしまう危険は若干感じている。なので運動の確保は自分の中ですごいプライオリティが高い。あとは結婚して転勤して子供ができて本来の自分のリスク予算をだいぶぶっちぎってしまっているため、開き直りの境地に達した面もある。思い悩む余裕すらないというか・・・。
40才を口実にダラダラ書くシリーズ。
自分のボンクラさがさすがに無視できなくなった。過去を振り返ると、自分が中心になって成功したプロジェクトはない。いちおう納品した、みたいなやつはあるので完全に失敗だけとはいわないけれど、成功はない。受託開発していた頃はどれもプロジェクトの存在がダメだな、と言い訳していたものだが、HTML Imports を機にやはりこれらの失敗は自分のボンクラさなのだと納得した。
結局のところ何事にも成功のための障害はあるわけで、それらをなんとかして克服するのが実力なわけじゃん。HTML Imports の難しさは初期デザインの不味さだったわけだが、自分はそれをひっくり返してまともなものにできる立場にいた。というかそれが暗に求められている仕事だった。しかしできなかった。いまいちな初期デザインのまま仕様を書いて、なんとか実装して、出荷して、誰にも使われないまま数年後に消えるゴミとなった。どんなデザインなら良かったのかは未だにわからないが、きっといつか誰かが正解にたどり着いて答えを見せてくれるだろう。
ボンクラさに納得した後、この意見を変えるに至る証拠を生み出すには至っていない。
どうしたらボンクラでなくなるのだろう。失敗したものを成功まで持っていくのが答えなのかもしれないし、派手に失敗しないようにする手管が必要なのかもしれない。自分は仮説を持っているが、その仮説は自分にとって特段 helpful なものではないので今ここには書かない。