Spinach Forest

#ATHOME

/ Home Alone 2019 (4)   / 家でも非同期コミュニケーション   / Roadtrip   / 空気清浄機   / ステロイド   / Less Free Time, 2018   / 贅沢してる   / Budgeting Child Costs   / You Need A Budget   / Santa Cruz Mountains   / Proxy Child   / Sick Baby and Guilt   / Sick Baby   / Daydreams of a Revelation   / Personal CRM   / Emotional Labor and Leadership   / Wok As a Fryer   / Grading the Leave   / Butternut Squash vs. Kabocha Squash   / More Veggies   / Instant Pot   / ... 

Home Alone 2019 (4)

|

妻子帰宅。

今回は前回以上に生活のリズムを維持できず、遅寝遅起きにシフトしてしまった。それに加え労働時間を伸ばしてしまった。結果として個人プロジェクトははかどらなかった。

ブログの EC2 脱却ができたのと、花見ドライブができたのはよかった。考え事をする時間もそこそこ取れた。

家で個人プロジェクトをやる、という方向だとどうしても loneliness や boredom にやられがちなので、次回移行は人と遊んだり出かけたりする方向で home alone 期間を楽しむようにしたい。まあ遊び相手なんてそんなにいないんだけど、たとえば勉強会みたいのに顔をだしてみるとか、そういうのでもよい。

家族がいる方が賑やかでいいなと思ってしまう。「しまう」というのも語弊があるけれども、もうひとりぐらしをエンジョイできる精神性は失われ、家族持ちとしての適応が進んだ。去年もそんなことを書いた気がするが、その傾向は強まっている。あたりまえだし、悪いことだとはおもわないけれどね。

家でも非同期コミュニケーション

|

ゆこっぷ(奥さん)が子と添い寝をするようになって夫婦の会話が不足がちになったので、あるときから文通をしてみることにした。半年くらい前。メディアとしては例のごとく WordPress を使っている(二人ともブログ世代なので。)一つのサイトで運用。

今は休暇中だし、子供の相手をしながらなんとなく会話をする技術も向上してきたので以前ほど頻度はない。それでも少し立て込んだ話をするのには文章でコミュニケーションした方が良いことも結構あり、そういうときは重宝している。(たとえば家電製品のマニュアル PDF  のスクリーンショットをとって張り、昼間にここみて XX しておいて、と頼むなど。あるいは Amazon にある子供おもちゃのリンクを複数張り、レビューサイトへのリンクもはって引用をコピペし、これはどうだろうかと言うなど。)あと仕事の昼休みとか朝早くとかに書いておける非同期性も助けになる。

たぶん普通だとソーシャルメディアでグループ使うとかの方が良いのだろうけれど、ブログはソーシャルメディアにありがちな他人のノイズがないのは良い。文通、という感じがする。あとから見返す楽しみがあるのもよい。あとチャットはチャットで使っている。でも情報量に応じてメディアを使い分けるほうが良い気がする。

Roadtrip

|

自分は車の運転があまり好きでない。田舎暮らしなのに損しているなと思う。それでも California は road trip の国だけあってそこそこ眺めの良い道もあり、最近は娘の昼寝ドライブなどで無駄に運転をしている。昼寝に限らず週末の車外出が増えた。

家族でドライブするのはまあまあ楽しい。娘がいると家ではあまりゆこっぷ(奥さん)と話す時間がとれないけれど、ドライブ中は子供が寝ていればそれなりに話せるし。

ただ子供はヒマだろうな。少し前、NYTimes に「シリコンバレーの親は子供に画面を与えない」という記事があった。その記事に登場する draconian な親ですら、例外として長時間のドライブでは子供に iPad を渡すと話している。ドライブ中の子供のヒマさを象徴するエピソードといえよう。

自分の両親もよくドライブしていた。この間電話をして確認したところ、自分が記憶していたドライブ先は軽井沢の先にあるジャムの店だったらしい。Google Map によると当時の居宅から車で片道三時間弱。子供の頃、大人はなぜこのどうでもいい遠出をするのかと思っていた。(ジャムとかそのへんでも買えるじゃん?)今思えば当人たちは楽しかったのだろうな。当時は当然 iPad などなく超絶ヒマだった記憶しかないが、大人のたまの息抜きに付き合うのも子供の仕事のうち、ということにしておこう。悪いな娘よ。


と言うはなしをゆこっぷとして、我々は子供の頃どうやってドライブ中のヒマを耐え忍んでいたのだろうと話す。すると地図を見ていたという。たしかに地図は暇つぶしになったな。しかし・・・このへんの道は地図で暇をつぶすには若干まっすぐすぎるなあ。

空気清浄機

|

先週の wildwire による大気汚染をうけ、月曜に注文し、昨日の木曜に届いた。山火事は先週の金曜。もっと早く注文すべきだったし、届くのが木曜じゃあ火事も収まって次の wildfire 事故まで出番なしかな・・・などと思っていたらその後も悪化が進み各種教育機関が休校しだす有様。

サンフランシスコに本社のある高級空気清浄機の会社、少し前まではベイエリアの住人に対し即日配達送料無料、本社オフィスでの受取も可、と宣伝しており、今日みたら品切れで入荷まで一週間待ちとなっていた。自分たちの買った Wirecutter 推薦モデルも品切れ。この手の業者は儲かってることであろう。

空気清浄機、電源をいれると高い汚染度を示す赤いランプが灯り、しばらくまわしているうちに収まったが数秒窓を開けたらふたたび真っ赤に戻った。いかにも汚染されてる風情。

ステロイド

|

子供の肌荒れが治らないのでゆこっぷ(おくさん)がステロイド系の薬を買ってきて使いはじめる。その後小児科にかかって正しい処方の仕方を教わったものの、カジュアルにステロイド系の薬を使うことにショックを受け「ちょっとオンラインで副作用とかについて読んでちょ」と釘を刺したところ、be on the same page の方がよいと思うので読むべきリンクをよこせという。そりゃそうだ、といくつか探してみたところ・・・むしろ自分が神経質すぎてよくなかったことが判明し、反省した。要するに、副作用はあるが使わずに悪化するとより辛いのでさっさときっちり使って直し、治ったら使うのをやめなさいねという話であった。

ステロイド系薬に自分が感じていた不信感は、20世紀末にあった過大報道(内服と塗薬の混同など)と、そこから始まった民間療法ビジネスの影響だったらしい。自分は弟にアレルギー性皮膚炎があり、自分の両親は当時のそうした報道などにひきずられて反ステロイドに振れていたのだろう。そこまで極端に拒否していた記憶もないが、なにしろ自分のことではないのでよく覚えていない。ただ時代の不安な空気だけが記憶に残っていた。ゆこっぷファミリーは健康体でアレルギーとかはなかったらしく、おかげでそうした不安に囚われずに済んだのかもしれない。健康が一番であることよ・・・。

オンラインの医療情報は破滅していることが多いが、アレルギー性皮膚炎(「アトピー」)についても同じことがおきており、かつそうした過去の空気および民間療法ビジネスの隆盛にともないだいぶひどいかんじになっている。最近の自分はすっかり Mayo Clinic だのみ、たまに WebMD も見るくらいで、今回のように日本語で調べたい時は go.jp に絞って検索するようになった。政府の陰謀論的なものがゼロと断言する気はないが、相対ではだいぶマシに見える。日本語圏にも Mayo Clinic 相当がほしい・・・。

しかし go.jp のサイトは PDF ばっかりな上に、そこからリンクされている厚生省のワーキングンググループの調査の成果(を参加した大学教授がまとめたもの)、みたいのが .org にホストされていたりしてまじゲンナリ。百歩譲って ac.jp にしてくれよー。


ちなみに Mayo Clinic を見ると塗るのはともかく内服はやべえぞ、という書きぶり。内服とかあるんか・・・とみると喘息の吸引薬とかがそうらしい。あれはたしかに効きすぎてやばい。知ってる。あとはスポーツのドーピング。まあこれは他人事なんでいいかな・・・。

Less Free Time, 2018

|

時間がない、という定期的な愚痴です。

子の寝かしつけが難しくなってきたのと、子の朝飯の助けをするようになった結果、朝の時間も夜の時間もなくなってしまった。前は Podcast だけで一週間が終わってしまうと思っていたけれど、今や podcast の準備すら怪しい。ここ一ヶ月くらいエクストラな読書はまずムリなかんじ。そこに週末の外出などが重なると、週末の考え事時間さえ失われる。フラストレーションというか絶望というかそういう気持ちになる。

とはいえコントロールできることではない以上精神衛生を損ねても仕方ない。10 のうち 10 失われるところをなんとか 1,2 は手元に残せるよう頑張ってみて、うまく行ったら喜ぶくらいに期待値を調整しないとな。たとえば今は妻子昼寝の隙をついて給油ついでにコーヒー屋で管を巻いている。こういう小細工を、夫婦関係を損ねない範囲で色々やってくセコさが求められている。

共働きを片働きにして余裕ができるかと思ったが、そこに発生した余剰資源は大半が子供などの為に使われ自分には大して回ってこない。これも優先順位からして完全に妥当なことで文句はないけれど、自分が間違った期待値を持っていたせいでがっかりしてしまう。

妻子あり生活、適応したと思ったけれどまだまだ先は長かったという話。

 

贅沢してる

|

家計簿や予算を真面目につけ始めて思うこと: 自分たちは特に慎ましい暮らしはしてない。それなりに贅沢してる。

共働きでもないのに子供を daycare にいれている。それなりの頻繁でガジェットを買っている(自分が)。子供部屋のため 1BR でなく 2BR のアパートに住んでいる。そのアパートは勤務先から近い。毎年海外旅行(日本)をしている上に、来年は親戚の住むスイスに行きたいね、とか言ってる。引っ越してきたときに買ったクルマは新車である。自分は細々したインターネットサービス群に金を払っている、など。

こうした意思決定は(ガジェットとスイス旅行を別にすると)自分の中では正当化されているが、正当化したところで安くなるわけではない。そしてこうした出費によって生活費を base salary 内に収めるという目標が遠のいている。

自分たちはあまり外食をせず、クルマを二台持つこともせず、ケーブルテレビも契約せず、衣類宝飾品もさして買わず、家も買わず、Whole Foods にも通わず、庶民的な倹約チップスに出て来るような無駄遣いの類は割とクリアしているが、一方で上に挙げたような、ほんとにカネがない家ならまずやらないような出費をしている。(Expense-conscious な家庭が毎年海外旅行をするだろうか?)

一方で職住近接も daycare も 2BR も帰省も自分たちの QoL 向上には大きく寄与しているので、節約のためにやめてしまえばいいとも思えない。羽振りの良さの恩恵として有難く浴しておきたい。

この平和な日々が景気の力だという事実は俄には受け入れ難いけれども、それはひとつには付き合いのある人々の多くがおなじくらい(あるいはより一層)羽振りが良いせいで、無意識のうちに QoL standard が釣り上げられてしまっているのだろうね。身の回りの人の羽振りが良いのは悪いことではないし避けても仕方ないから、こまめに家計簿という現実を睨むことで認知の歪みを正していこう。

あとは外国人としてのプレミアはある。たとえば日本旅行はもっぱら親に孫の顔を見せるためであり特段面白味はないが、中米のリゾートでバケーションするよりよほどカネがかかる。友人や血縁者のサポートが得られないがゆえに daycare のありがたみが増す、US 市場のメインストリームと価値基準がずれている、というように。

まあ家計簿のおかげで不景気突入に際してすべきことがはっきりしてきたのはよかった。それがどのくらい uncomfortable かはやってみないとわからないが、まだわからなくていいです。

Budgeting Child Costs

|

子育ての費用を厳密に追跡するのは、当事者としてはあんまし意味ないなと家計の予算を決めていて思う。具体的にはあるカテゴリ X について「子供の X」を独立に記録しても、必ずしもありがたくない。

衣類みたいのは別にしてもいい気はする。でもたとえば家庭の雑貨や外出は今や大半が子供のために資金を費やしているわけで、親とわけても意味ないね。食費も、今は離乳食を作っているから厳密にやれば子供の食費をつけられるけど、つけてどうするという感じがする。

なんとなく子育ての financial overhead がどのくらいなのか知っておくと良い気がしていたが、子供の影響で増えた出費の内訳が細かく見えたところで特段 actionable でない。家族の総体として manage するものでした。今更そんなこといってすみませんという気分。

You Need A Budget

|

Audible の力によりようやくゆこっぷ(おくさん)にを読んでもらうことに成功したので自分も復習のうえ家計の立て直しを始める。

YNAB を使う。一部にファンの多い opinionated な家計簿ソフトウェア。自分も上の本を読んで興味をもった。彼らの pitch は色々だが、素朴な家計簿予算システムとは大きく2つの違いがある。

  • 予算カテゴリに優先度をつけ、優先度の高いものが over budget になったら優先度の低いものを諦め補填することを勧めている。そのため伝統的には同じカテゴリになる項目も優先度に応じてカテゴリをわけたりする。たとえば Groceries と Eat Out とか。Groceries が overspent だったら eat out を諦めて groceries を補填する。まあ英語だともともと groceries と eat out はわかれてそうだけど、日本語だと伝統的には「食費」でひとまとめだよね。かわりに食費と日用雑貨が groceries でひとまとめになっている。(Groceries は雑なカテゴリな気もするが、結局は supermarket で買うものということなので理にはかなっている。)
  • Monthly の budget で扱いにくい不定期、大型の出費は、項目毎にゴール額を決めて毎月資金を積み立てる。これは当たり前っちゃ当たり前だけれど、素朴な家計簿アプリは支援してくれない。YNAB には支援がある。不定期な出費には、たとえば旅行や正月のような予測可能な出費もあれば、クルマのトラブル、病気、冠婚葬祭のような予測不可能(だが不可避)なものもある。これらも優先順位の一部として他のカテゴリと予算をわけあう。(例えば他で overbudget した月は旅行のための積立を止めるなど。)

自分たちの主要な関心は後者、不定期大型出費の扱い。自分たちはしばしば旅行やガジェットなどの大型出費をするわけだけれど、こいつらの扱いが不透明なせいで日常の budgeting が意義を失っていた。日銭をケチったところであるとき雑に散財しちゃうんでしょ・・・という。加えて子供用品のような中規模高頻度不定期な出費が重なったせいでいよいよ budgeting が崩壊し、精神衛生を損ねていた。これらをシステムとして扱えるのはよい。YNAB によって出費の優先度に関する夫婦間の意見の不一致がなくなるわけではないけれど、カンと雰囲気だけで決める今までよりは生産的な議論ができることでしょう。

これは要するに欲しいものがあったら金を貯める、というだけの話ではあるものの、その前提でツール全体がデザインされているので今まで使っていた Mint.com とはだいぶ趣が違う。

Mint はクレジットカードの不正出費を見張る役には立っていたけれどbudgeting tool としていまいち actionable でないのがよくなかった。具体的には preset のカテゴリーから逸脱するのがすごく大変なのと、月をまたいだ大型出費を扱う仕組みがないこと。

YNAB には、なんとなく TODO アプリを使いつつ腑に落ちない気持ちでいたあと GTD の本を読んだあとのような説得力がある。一方で personal finance のような pervasive な話題をライフハックみたいなノリで扱っていいのか不安もある。まずはちゃんと personal finance を勉強したほうがよくね?みたいな。たとえば YNAB は借金生活から脱出したい自転車操業生活者が主要な対象ユーザなため、retirement fund の話とかはでてこない。それはいいのか。

まあ、しばらくためします。

2019/12 追記

このあと半年から一年くらいで挫折した。代替は未定。

Santa Cruz Mountains

|

夏休みは友達の家族と Monterey にでも行きたいなと思っていたのだけれどすっかり計画に出遅れ、かつ自分たちの子連れ旅行スキルが低すぎなことにも気づき、今年は見送り。かわりに近所の Santa Cruz Mountains の村 Boulder Creek そばにあった AirBnB の別荘に泊まってみる。うちから車で一時間くらい。おためしなので短く二泊三日。

山の中、森の中なので昼間でも涼しくてよい。遊歩道とかはあまりないけれど車どおりが少ないので driveway を散歩しても特に問題ない。そして一歳半児の脚はどのみち大して歩けない。やることがなくてヒマといえばヒマだが、森の中を走る鉄道に乗る観光や川辺で水遊びをするなど、多少はなにかあるし、どのみち子供の相手をしていれば一日は短い。一週間くらいならヒマさに殺されずダラダラ過ごせそう。

外食はせず食材持参で自炊。別荘なのでテラスでごはんを食べたりできる。蚊に刺されるが・・・。街のスーパーは普通に充実しており特に高くもないので食材をもっていく必要なかった感じもする。レストランは少ない。自炊という判断は正しかった。

など。家から近いわりに非日常感を味わえて良かった。しかし友達の家族と行くにはさすがにヒマすぎて心苦しい。やはりちゃんと計画して Monterey なり Santa Cruz なり海のそばにとまりたい。ただし自分の家族だけで行くには良い。そして AirBnB で田舎の別荘に止まる子連れ夏休みは色々と都合がよいね。ヨセミテの麓あたりも色々泊まれそうなのだけれど、どうかな・・・。


Santa Cruz Mountains の山奥に村があるのはなぞ。もともとは 19 世紀の終わりから 20 世紀初頭に林業で栄えた鉄道の街らしい。鉄道も林業も廃れた今はある種のリゾート(?)として生き延びている。自分の感覚だと廃村になりそうな設定だけれど California は人口が増えてるのでこういうところにはみ出してくる人も一定数いるのだろうか。

距離的には Bay Area からすごく近いのに住んでいるのは白人ばかりで中国人もインド人もヒスパニックも全然いない。「アメリカの田舎」っぽい。そして家の値段が近隣の 1/2 - 1/3 と相対的に激安。利便性の対価よ・・・。

Proxy Child

|

最近ようやく(自分以外の)子供がかわいいという感覚がわかってきた。けれど自分の場合、よその子の中にも結局我が子の影を見ているからだなと思う。

3-4 歳くらいの子供が公園で遊んでいる。自分の子ももうすぐあんな風になるのかな、と思う。新生児が stroller の上で眠っている。自分の子も少し前まであんな風だったのに、大きくなったな、と思う。泣き叫んでいる子供を見ても、ああ可哀想に眠いのかな思い通りにいかないことがあったのかな、と思いはすれど特に不愉快に思うことはない。結局、自分の子供もそういう時があるからだと思う。共感といえば聞こえはいいけれど、天気みたいなものだよな。雨が降ってるのに怒っても仕方ないというか。

自分の子供が、たとえば10歳くらいになったとき、newborn や toddler を目にした自分は我が子の小さい頃を思い出すのだろうか。思い出せる方が子育ては実りあるものになると思うけど、物忘れは激しいし、どうかな。

Sick Baby and Guilt

|

数週間前にウイルス性気管支炎になった娘、金曜くらいから runny nose とそれに伴う congestion があった。fever はない。前回から humidifier を導入し、温度管理もそれなりにちゃんとしていたので、すぐ治るだろうと思ったら土、日、月と良くならず火曜になってしまった。そして daycare から帰ってきた夕方にみると wheezing が悪化しておりだいぶ苦しそう。Daycare での指摘もあり、慌てて inhaler を使った。

Inhaler, すごく強力なだけに副作用も心配で、単なる runny nose のときは使いたくない。一方で wheezing がでたらすぐ使わないといけない。Runny nose による congestion とwheezing の区別が難しく、使うのを躊躇っていたら悪化してしまった。一度悪化してしまうと長引くし、繰り返すうちに chronic  な asthma になってしまう恐れもある。なにしろ自分が asthma だったし・・・。子供の asthma は辛いので守ってあげたいが、また一敗してしまった。

Runny nose 由来の congestion, どうせ runny nose 経由で throat に infect することがわかっているのだから、注意深く見守って 1, 2 日で直らなかったらさっさと inhaler を使ってあげればよかった。深く反省している。

子供が苦しそうな様を見るのは苦しい。強い罪の意識がある。自分の失敗で子供が苦しんでいるわけで、親としての能力不足の現れのように感じてしまう。それは事実かもしれないし事実ではないかもしれない。なんにしろ比較的温かいはずの California の冬なのだから健康にすごさせてあげたい。

Sick Baby

|

Thanksgiving 2日前くらいに子供が胃腸炎になり、嘔吐を通じ我々両親にも感染し、2日有給ののち Thanksgiving の連休は寝て過ごした。そのあと回復に向かうも自分は諸事情により回復しそびりれて風邪を引き先週一日有給。とおもったらそれがゆこっぷ(おくさん)に伝染り、更に子供も調子を崩して気管支炎になってしまった。気管支炎、胃腸炎より辛そうできびしい。本日有給二日目で面倒をみているところ。

子供の病気で仕事を休まないといけないのは、厳しい。まあ休めないのはもっと厳しいのだろうけれども、今年にはいってぐっと有給消化のペースが増え、病休も使いきった。病気のほか daycare の休業もぜんぶで 5 週間くらいあり、それをぜんぶ休んでると有給が足りない。まあ daycare の休みは注意深く代打を探せば金の力で解決できるのだけれども、病気はどうにもならない。

しかも一定程度意志の力で介入できる自分の体調と違い、子供の病気はかなりランダム(+季節バイアス)で発生する。仕事が立て込んでいるとか関係ない。今週はチームが hackathon week で、自分も次のプロジェクトで使えそうな API を使って実験プロジェクトを書いていた。が、検証が終わる前に頓挫。製品本体の締め切り前じゃないだけよかったけれど、出遅れ感は否めない。

一方のゆこっぷは有給が尽きた上に締切前のため、苦虫を噛んだような顔をしながら仕事にでかけていった。ウェブでみつけた Vogue の記事のリンクをチャットで送りつつ、病気の子供のそばにいてやれるというのはある種の privilege だと思い直す。クビになるまではせいぜい活用させてもらおう。

なにはさておき有給の在庫が心配なこの頃。


追記

上司との会話により勤務先は unlimited sick leave policy であることが判明した!まじか。7 年いたけど気づかなかったとは、健康だったのだなあ。

休暇登録ツール上には病欠が3日分使えると表示されてきたのだが、あれは法制上の飾りだったらしい…

Daydreams of a Revelation

|

自分のキャリアとかを考える時期は終わって、自分は子のために生きてるのだなと感じる瞬間がある。たとえば。

ある晩、奥さんの勤務先主催の holiday party に子を連れて出かけた帰路の車内、いつもの就寝時間過ぎまで起こされぐずっていた子が静かになり、やっと寝たかと顔を覗き込む。窓から街灯が差し込み、カーシートの上で静かに宙を見つめている子の顔が浮かび上がる。その表情はぎょっとするほど大人びている。ああ。

この子の前には無限にたくさんの可能性が広がっていて、自分の前には可能性の搾りかすだけがあって、それならこの無限の可能性から子が素晴らしい何かを選び取れるよう手を貸す方が圧倒的に妥当じゃん。諦めでも熱狂でもなく、すべての謎が解けたように、ただ腑に落ちる。

この感覚は白昼夢として過ぎ去っていく。

けれどそのあと、いつものように自分の仕事やプログラマとしての先行きを思い悩むとき、自分の中にある深刻さや熱意の前に夢のベールが覆い被さる。まあ細かいことはどうあれなんとかがんばって金稼ぐしかないよな。そんな気分が頭をよぎる。

なんとかがんばって金を稼ぎ続けるには結局自分のキャリアを前にすすめるほかない。だからこの白昼夢が何かを大きく左右することはない。でも背後にある reasoning が、いつの間にか書き換わっているように感じる。その論拠は言語化できない。けれど腑に落ちた感触が消え去ることもない。

Personal CRM

|

二ヶ月くらい前から家族用に Highrise (Free Plan) を使い始めた。

主な用途のひとつは、コクヨ おつきあいノート みたいなもの(こんなものがあったのか!)。要するに親戚や知り合いに何をもらった、あげたなどを記録しておく。もらった・あげたの記録も義理人情の観点で大事といえば大事なのだけれど、そもそも自分はゆこっぷ(おくさん)の親戚や友達の名前とかを全然覚えられない問題があったので、それを記録しておけるのが助かる。Contact List に timeline がついたようなものだと思えばよい。

人付き合いで自分が抱えているもう一つの問題は、人から聞いた話を覚えていないこと。だから聞いた話のうち重要そうなもの(たとえば: 子供が生まれた、その子供の名前、転職したなど) を記録しておくのがもう一つの使いみち。

こういう情報をまったく忘れない人もいるけれど、自分のように付き合いの悪いコミュ障は道具に頼りたい。特にゆこっぷの血縁者や知り合いは自分の直接の関心事ではないせいか、まったく記憶に残らずいつも心苦しかった。Highrise のおかげでだいぶ心的負担が減った。記憶に残らないなら記録に残せ。

入力の手間はある。配偶者の協力が得られないと厳しい気がする。Upfront に大きなコストをかけないよう、ソーシャルグラフのうち実際に interaction のあった相手だけを記録することにしている。つまりアドレス帳のコピーはしない。

自分たちは普段はあまり social  な interaction が多くないので記帳の手間は大したことないけれど、普段からたくさんの人に会ったり色々な会合に顔を出したりしている人は大変かもしれない。一方でそういう人ほど CRM の需要はありそうだが。まあ世の中 CRM が脳に内蔵されていてたくさんの人間関係を苦もなく manage できるひとっているよね。

Highrise はこの目的に最適なツールだろうか。わからない。紙の台帳よりいいのは確かだとして、世の中には CRM が山ほどある。自分は他に Monica を試した。Monica は営業やサポートではなく個人の人間関係の管理に焦点があり、この目的には向いている。ただ自分が試した時点では基本的な機能がだいぶ足りていなかったので諦めた。ただしその後ちまちま機能は増えてるっぽい。他の CRM は多くが営業活動支援に特化しすぎていて、家族のおつきあい帳には向いていないように見えた。ただ試してみたら案外いけるかもしれない。

Highrise の free plan は 250 contacts が上限。その上限に達したらどうするか、は考えていない。まあ上限に達するくらいマメに使えていたなら金を払っていい気もしている。やや高いけど。

どの道具を使うかはさておき、CRM でつきあいを管理するのは結婚してすぐやっておけばよかったと思った。様々な awkwardness や embarrassment を回避できたに違いない。家事の mental overhead をテクノロジで乗り切れるとよい。

 

Emotional Labor and Leadership

|

Stop Calling Women Nags という記事が一部で話題になっていた。家事における "Emotional Labor" の存在を appreciate しろよ男ども、という話。男どもに文句があるのはわかるが記事にあるような仕事...言われなくても片付けをするとか...は Emotional Labor にあたるのだろうか。

同じ話題を扱ったウェブ漫画があると HN のスレで知り、眺めてみる。これは同じ問題を "Mental Overhead" と呼んでいる。この方が適切な名前に思える。

自分が Emotional Labor ... というか「感情労働」について知ったのは、むかし「管理される心」を読んだときのことだった。原書の紹介をみると、この時点では Emotional work と呼ばれていた模様。まあ Labor の方がやらされている感があってよい。ここでいう emotional work/labor は、仕事のために感情をコントロールする、装う必要のある仕事を指している。客室乗務員とか看護の仕事とか。日本のサービス業全般そうじゃね、という話もあるがそれはさておくとして、部屋の片付けは別に emotional labor ではないよな。

なぜこんな言葉の overload が起こったのか。冒頭の記事からリンクされている資料を読んで謎がとけた。この資料は、2015 年に書かれた Emotional Labor に関するエッセイ をめぐる MetaFilter (暇つぶしサイト) 上の議論をまとめたものだった。このエッセイ自体は emotional labor を語義通りに扱っているのだが、なぜか MetaFilter の議論は仕事をしない男たちを糾弾するスレへと発展し、その内容を "Emotional Labor" の名前の下でまとめたりした人がいたものだから emotional labor = 男たちがやらない家事, という overload が生まれたのだな。まあ男たちがやらない家事の中に emotional labor が含まれるのは事実かもしれないが、この誤ったラベルづけは gender bias をめぐる feminist の態度を stereotypify して dichotomy を深めるだけではなかろうか... 一部の男たちが家事をしないのはそれが emotional labor だからではなく、単にしないだけだとおもうよ...


その点これを mental overhead だと指摘した Emma の漫画は正しい。この漫画では家事を project management に例えている。Project かどうかはともかく management としての側面を無視して家事を単純な routine labor だとみなすのが家事にたいする無理解の核の一つだと自分も 思う。

そしてインターネッツを眺める限り、残念ながら家事をしない男たちへに苦情を申し立てている女性たちの多くは特別よい management practitioner すなわち manager ではないように読める。世の中の管理職もたいがいゴミであることを考えるとこれは別に責められることではない。一方で、家事をしない男たちの問題をボトムアップで解決するには女性たちはマネージメントとかリーダーシップとかメンタリングとかを勉強するのが早道なのではないかとも思う。ようするに使えない部下や後輩(=夫など)をもってしまった上司や先輩はどうやってその部下なり後輩なりを育てていけばよいのか。まあ使えない部下の例は不適切かもしれないけれど、たとえば TL としてどうやってチームに仕事を分担していけばいいのか。

たとえば夫を micromanage したくないという女性たちは夫に役割の big picture を説明した上で delegate しているのか。あまりそういう様子はない。家事の分担が機能不全になっている人たちの問題は使えない部下たる夫だけでなく口うるさい上司たる妻にも改善できる点はあるのではないか。夫婦間での上司/部下という関係の fairness についてはさておくとして。たまにみかける夫を「褒めて伸ばす」みたいな言説はこの方向性のひとつと見なせなくもない。まあでも leadership とか coaching とかの本を何冊か読むともっと先に行けると思うのだよな。


That being said, 家事の一部に emotional labor が含まれているのは事実で、自分はそれをサボっているなあ。個人的にはそれが冒頭の記事の takeaway なのだった。人付き合い、近所づきあい、親戚づきあいみたいのを自分は完全にゆこっぷ(奥さん)に任せてしまっている。少しはやらないといけない・・・とおもいつつ腰が重い・・・。

ところでそういう emotional labor としての diplomacy は伝統的に女性が得意というのはほんとだろうか? また仕事の話にもどると, 外交や折衷は管理職の仕事の重要な部分を占めているはずだが、管理職はだいたい男である。これは 1. 男たちは別に diplomacy が苦手じゃない。 2. 女性が管理職になった方が世の中色々うまくいく, のどちらだろうね。白黒はっきりした話でもないだろうけれど。

まあ男たちがみな管理職になるわけではない点を踏まえると、したっぱの男たち(自分とか)は diplomacy が苦手かもしれず、家でも人付き合いの役に立たず、まったく使えない気がしてきた。つらい。新たにそんな悩みが生まれた昨今。

Wok As a Fryer

|

via Deep Frying Without a Deep Fryer: Which Pan Is Best for the Job? « Food Hacks Daily :: WonderHowTo

自分の献立の棚卸しをしたところ、そろそろ揚げ物をしていなのがボトルネックに思えてきた。でも苦手なのだよなー揚げ物。ゆこっぷ(奥さん)は揚げ物が得意で、中華鍋を使って鶏の唐揚げとかを作る。でも中華鍋、ユラユラするので揚げ油が入っていると怖い。

揚鍋を買おうかと Amazon で調べてみるも、どれもデカい。そして basket は無駄に思える。世間の家庭料理人はどうしているのだろうかと調べるうちに上の記事にでくわした。Wok Pan がいいよ・・・ってそれゆこっぷと同じじゃん!

揚鍋は諦め、Wok pan で揚げ物の練習をします。はい。

Grading the Leave

|

三ヶ月の育児休暇も今日でおわり。ざっと採点してみる。

育児。おもったよりできなかった。一方でゆこっぷ(奥さん)が思ったより enthusiastic だった。そして父親は授乳をしないとなると育児の負担を揃えるのは難しい気もする。そのぶん家事をひきとるべきだったけれど、引き取る量が十分ではなかった。

炊事。全体ではやってない家事のなかでもこれだけはよくやった。自分はもともと半分以上の炊事をしていたけれど、有給中は 9 割くらいは引き取っていたとおもう。炊事以外の家事をもうちょっとやるべきだったね。掃除洗濯。

職業訓練。アプリを作れたのは良かったような気もするけれど、ML をまったく忘れてしまったのは代償として望ましかったのか。アプリづくりをはじめた頃は子供の世話がすごい大変で、数式を睨んで追いかける気力がなかった。余裕ができたあとに復帰すればよかった気もするけれど、そのために書きかけのアプリを abandon するのも良くない。そもそも職業訓練とかしてないでもうちょっと子供と engage すべきだったとも思う。

運動。走るのだけは続けていた。ただほぼ在宅で子供の散歩くらいしか歩かなかったので総運動量は普段より少なかった。最低限は守ったくらい。

全体としては 70 点くらいかな。育児休暇というのをどう過ごすべきなのか事前にはまったくわかっていなかったので、こんなもんだと思う。


育児休暇を三ヶ月とること自体に価値はあったか。それはあったと思う。十分に engage しなかったとはいえ子供に対する理解は進んだし、ゆこっぷとの役割分担を調整する余裕もあった。じぶんは根がさぼり体質なので、たとえば育休を一ヶ月で切りあげゆこっぷより先に職場復帰していたら、仕事を理由に育児は今より更にやらなかった気がする。

Butternut Squash vs. Kabocha Squash

|

似たような味だったけど、調理時間は結構違う。Butternut Squash は 20 分蒸し茹でしてやや茹で過ぎくらいなのに対し、Kabocha Squash は 4 分で煮崩れた。レシピには 2 分と書いてあったのでそのとおりにやればよかった・・・。

Butternut Squash, 調理時間の長さ以外だと種も少ないし皮もむきやすいし味もあっさりしているので Kabocha より好きかもしれない。

More Veggies

|

野菜不足を感じたため、少し前から食事の野菜を増やそうとしている。

今までの野菜摂取は週末に作り置きしたおかずからが大半だった。けれど作り置ける料理は限りがある。種類も、調理の時間も。なので食べるその日に作るか、作った日と翌日の二回くらいにわけてたべる野菜が欲しい。そして平日にささっとつくれる調理の簡素なものがよい。

と考えた末、今は大きく3つのジャンルに手を広げてみている。

一つ目は浅漬け。きゅうり、大根、人参、白菜、セロリなど。適当に塩を降って ziplock にいれる。作って 2-3 日で食べきる感じ。塩だけだと物足りないので「ほんだし」や顆粒の鶏がらスープなどを混ぜてスナックっぽい味にする。あとは生姜を刻んで混ぜたり、ガーリックパウダーを振ったり、醤油やごま油を垂らしたり。割と良い。白ごはん.com のレシピをもとに改変して食べてる。

二つ目は茹で野菜の和物。チンゲンサイやサヤエンドウを茹で、かつおぶしと醤油を和えてたべるだけ。あとは秘蔵の出汁殻ふりかけがあるのでそれをかけたりとか。当日と翌日の2日で消化するかんじ。これも一瞬で作れて良い。味付けはもう一捻りしたい気もする。

3つめは炒めもの。チンゲンサイ、サヤエンドウ、パプリカ、ブロッコリなどを単品で炒める。油にニンニクや花椒をいれて香りを出し、炒めたら塩コショウ。気が向いたらオイスターソース。あとは鶏がらスープと片栗粉を水に溶いてからめたりとか。これは上の二つより一手間ふえるけれど、まあ中華鍋で炒めるは好きなので許容範囲。炒め物についてはウー・ウェンの教科書から学ぶことが多かった。最近はガーリックオイルを作り置いている。

あと生姜焼きなど marinated pork/beef を焼くときは上の炒め物野菜とあわせて炒めたり、麻婆豆腐にどさくさで人参を入れたりと、肉を食べるときは強引に野菜を足す。

といったかんじにして野菜摂取量が増えた。気がする。少なくとも週末の買い物の量は増え、バッグを買い足した。

Instant Pot

|

電気圧力鍋の Instant Pot を買った。前から圧力鍋が欲しいと思いつつ買いそびれていたところ、NYTimesHN で立て続けに記事を見かけ背中を押された。

調理時間の節約を謳っているが、けっこうトリッキー。レシピに載っている実際の加圧時間の他に加圧前の preheat が 10-15 分, 加圧後の減圧が 10-30 分かかる。だからオーバーヘッドが 20-45 分ある。加圧本体も 10-60 分くらいあるから、合計で一時間以上はかかる。短い時間で調理する道具ではない。

一方、この 1 時間のあいだ見張りは必要ない。放っておけばいい。だから他の調理があるときは Instant Pot の待ちをオーバーラップさせ時間を償却できる。週末のバッチ調理にあわせて使うにはもってこいの道具といえる。

オーバーヘッドがでかい一方鍋のサイズも大きいため大量に作るのに向いている。ただ保存がきく料理でないと大量に作っても嬉しくない。カレーやシチュー、角煮やゆで豚なんかはよい。食べきり前提の one-pot dish みたいなレシピを見かけるものの、上記の特性をいかせないので自分としてはいまいち。

圧力鍋だと他で得られない料理が作れる。しかも電動で失敗しづらい。その感動がカルト感につながっているのだろう。待ち時間は長いけど手はかからないでかい鍋という特性を活かしつつ使っていきたいもんです。とかいってレシピの調査に延々と時間をつかっている。そろそろ切り上げねば・・・