Spinach Forest

April, 2026

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社会性フィルタ

自分の保守しているコードに見知らぬ人から突然ゴミコードのレビューが送りつけられてきた。高鳴る心臓。これ社会人としてのラインを保ちつ相手にするの消耗するなーやだなーと思いながらコミットログを読むと、コードの不理解さと噛み合わない自信満々のマークダウン装飾ばりばりエーアイ節。もしやこのクソコードもエーアイか?と一瞬疑うが、既存コードの複雑さは弊社エーアイ様の実力の範囲を超えている。たぶんコミットログを書かせたんだな・・・。

かつてコミットログはコードを書いた当人の理解度を示す指標でもあったが、エーアイによってそうしたシグナルは失われてしまった。一様で表面的な自信と文字数だけがあり、辛い。「劇的に性能を改善しました」とか書いてるけど、それきみのもとのコードが更にゴミなだけじゃん?それわたくしのレビューもなしにいつ突っ込んだ?ぶっころでございましてよ?

はー。出てこい俺の社会性!頼むッと祈りながら帰路自転車を漕いでいるうちに、そうか社会性もエーアイ様に任せればいいじゃない、と気づく。

とりあえず「そのクソコードはおまえんとこで書けこっち来んな」という旨のコメント(と細部の非難)を書き、チャットに「社会性のある文章にしてくれ」と頼む。と、できました社会性レビューコメント!完璧だ!!見るからにエーアイっぽいコメントだが、おめーのコミットログもエーアイだからお互い様だよな?あまりにフレンドリーすぎる部分(書いてくれてありがとう!みたいなやつ)は自分の負の社会性をぶつけて削除しておこう。これがせめてもの人間くささである。喰らえ俺の Work slop! この現代的 passive aggressive に名前をつけたい。


いざエーアイにより温厚化された(元)自分のコメントを読むと、こっちまでなんとなく建設的な気分が芽生える不思議さがある。これ人格矯正ギプスとしてコードレビューのテキスト欄に標準装備でいいんじゃないか。あと各国の大統領も使うと良いと思います。特にソーシャルメディアで。

追記:

エーアイで書いた返事が返ってきた。我々、もう直接に口を利くことはないのかもしれないな・・・

Revisiting Whistleblowers

Author of “Careless People” banned from saying anything negative about Meta | Hacker News

Meta 告発本 Careless People の著者が同社の悪口を禁止される裁定を受けたという記事の HN スレ、著者の Wynn-Williams に関する評価は割れてた。

“Careless People” はテックゴシップ本としてはかなり強烈な部類で、暇つぶしにはわりかしお勧めである。そして強烈さの八割は告発内容のエグさだけれど、残り二割は著者の個性から来ている。WW 氏、かなり濃いキャラである。著者の十代からはじまるこのストーリー、出身地ニュージーランドの海で鮫に噛まれて死にかけるところから始まるわけ。本題に入る前からビビってしまう。そしてこの濃さは終始一貫している。

テック内部告発といえば我らが英雄 Susan Fowler 最近元気かなと調べたところ、去年 “The Problem Of Being Known” というブログ記事を書いていた。内部告発者としての困難が、あのブレのない静かな強い筆致で短く綴られている。読んだらしんみりしてしまった。2017 年の告発以来、2025 年までこれを書かずに来たのは Susan Fowler (今は結婚して姓が変わり Susan Rigetti) の自制心の現れで、強いなと思う。

Susan Fowler の告発は Uber の元社長を退職に追いやった。一方の Careless People の告発としての成果はというと、企業イメージへの追い打ちではあるし TED 系フェミニストとしての Sheryl Sandberg の風評を地の底に落としはしたけれど、本丸たる Mark Zuckerberg はかすり傷もない。せっかくの内部告発の刃がいまいち奥まで届いてない。

自分が感じる Careless People の煮えきらなさは、本の書きぶり以上にポストリベラルな現代のやるせなさかもしれない。Zuckerberg とか巨大権力すぎて告発の一発や二発で仕留められる感じがしない。権力の使い方が、随分とはしたない時代になった。

それと比べたとき、MeToo などの時代背景も含めテック内部告発の北極星として Susan Fowler の地位が揺らぐ日はまだしばらく来ない気がする。あまりにかっこよすぎた。でもそんなの、当人にとって全然望ましくはないのだろうね。


内部告発はその人の人生を定義してしまうのだろうか。

去年唐突にランニングにハマっていた頃、"DO HARD THINGS" という体育系自己啓発本を読んだ。「モダン根性論」の延長にある「モダン体育系」とでもいうべきリベラルスポーツ精神論が議論されており、結構良かった。著者の Steve Magness は共著の “Peak Performance” という本もベストセラー。売れっ子である。

そんな Steve Magness の podcast やインタビューをひやかしていたら、思わぬ発見があった: Steve Magness はかつて Nike のレースチームを内部告発していた

事件は 15 年前, 2010 年に遡る。当時の Steve Magness は件の Nike チームに雇われた新人コーチだった。そこでチームのボスが主導する規約違反のドーピングを目撃し、告発する。長い戦いの果てに Steve は勝利を勝ち取り、Nike のチームは 2019 年に解散した。

けれど自分にとっての Steve Magness は別に whistleblower ではない。理科体育会系自己啓発インフルエンサーである。推し活の勢いでうっかり過去を暴いてしまったに過ぎない。Steve Magness 自身も、いくつかインタビューに答えたり多少の whistleblower 活動はしているが、それが主たるアイデンティティーではない。

インタビューで語られるのも、むしろ whistleblowing の対価や苦悩である。ランナーとしての挫折から立ち直り、新たにコーチとして勝ち取った名門チームの仕事。内部告発はそれを台無しにしてしまった、のみならず、その後も大半の会社から煙たがられてしまう。Susan Fowler がセクハラ告発フェミニストとして煙たがられたように。

けれど Steve はそこでくじけず個人向けのコーチおよび物書きとしてキャリアを立て直し、十年以上の時を経て自分のような思いつきホビーランナーにすら認知されるに至った。本は売れているし、全然編集してない YouTube channel も大人気とまではいかないが濃いファンがついている。

Susan Rigetti は、会社の仕事をやめて小説家になったらしい。四年前に書いたデビュー作 はそれなりに売れた形跡がある。

Susan も、その過去をしらない誰かに発見されて欲しい。今でなくていい。次の小説でいい。次の次の小説でいい。どこかの新聞の書評欄で、ひょっこり再会できたらいいなと思う。


昔かいたもの: Revisiting Susan Fowler - 2017-12-30 / Spinach Forest