AI Sadness: #3: Hustlers and Believers
エーアイの躍進にあわせ、エーアイ・ビリーバーになってしまった人がよく目につく。
一番目立つしわかりやすいのは、エーアイの可能性に賭けてそれまでの職を捨てスタートアップなどに言ってしまった人々。いいですよね。人生賭けてる。リスクとってる。がんばって歴史に名前を残してください。
会社はやめずに、今のしごとのなかでエーアイの旗振り役になってしまった人。けっこう困る。その人が本当の believer なのか、Resume-Driven Development (あるいは大企業バリエーション Promo-Driven Development) なのかの判断に苦しむケースがけっこうある。職場というのは市場経済よりはトップダウンの計画経済なのでこういう局所最適な行動が起こるのだけれど、エーアイのような未知数の多い分野に計画経済は弱く、市場に歪みを肌身に感じやすい。しんどい。
現代の生んだ市場であるアテンション・エコノミーでも、エーアイによる気候変動を目にする。自分にとって気になるのは、ソフトウェア開発のある分野の第一人者だったような人が突然エーアイ・ビリーバーになってしまうケース。こうした転身エーアイ・ビリーバーの発言は、本来の専門分野に関する発言に比べて、なんというか、軽い。あまり裏付けを感じられない。エーアイ分野で裏付けのある発言ができる人はすごく少ないので発言の軽さにも無理はないと思う一方、発言を信頼していた人間の言葉が信じられなくなるのは悲しいものです。
こうした第一人者・インフルエンサーが、エーアイ・ビリーバーに転身する判断はたぶん合理的なもので、そのビリーブしている気持ちにも多くの場合は嘘偽りはないだろうと思う。悪意・他意があるとは思わない。ただこれは、究極的にはサンクスギビングで顔を合わせた親戚が MAGA になっていたのも民主党を不甲斐なさのせいにするのと同じで、なんというか、個人を責める気持ちが無いとは言え悲しみはある。