最近まったくブログを書いていなかったことに気づいた。なにをしていたかというと、筋トレしたりランニングしたりしていた。夏に減量したのをきっかけに筋肉量の低下が気になりだして筋トレをはじめ、ジムでトレーナーに barbell の使い方を教わったりしたが「今の力だとまだ bench press は危ないですね」といわれ dumbbell を渡され、筋トレ盛り上がらねーな・・・とランニングの量を増やし、などと試行錯誤をしていると他の時間が完全に失われてしまった。運動、時間がかかる。
そして何も考えずに走る量を増やし、それまで一日三十分くらいだったランの時間を一時間くらいまで伸ばしたところ、スネの筋肉が痛みだしてしまった。Shin Splits というらしく、いきなり走る量を増やすと起こる典型的な症状なのだとか。というわけで一時停止中。やれやれ。
少し前から Foldable の電話機を使っている。去年同僚が使っているのを見て羨ましくなり、上司にゴネて会社支給の電話機を foldable にしてもらった。
前提として、自分はスマホのヘビーユーザーではない。どちらかというと意図的にスマホ利用を制限しているデバイス中毒警戒派である。という前置きをした上で以下感想。
- 画面がでかい事実は活用している。世の中の foldable user は開いて使う時間は短いというけれど、自分はコンテンツを見るときはだいたい開いている。閉じて使うのは、チャットの返信とか音楽再生とか、短時間に操作するときだけ。
- しかし大画面に対応していないアプリが多い。一方ウェブサイトは大画面だと PC 版相当が表示される場合が多く、便利。たとえば TechMeme とか PC 版の方が圧倒的に情報量が多い。
- 開いて使う時間が長い帰結として、バッテリーの持ちが普通の電話より悪い。足りないことはないが、普通の電話の感覚だと 70% くらい残っていて欲しいタイミングで 60% くらいになっている。閉じて使うのがメインならまた違う印象になりそう。
- 複数ウィンドウを使ったマルチタスクは、しない。なぜならユースケースは閉じた電話と変わっていないからである。というか世の中の tablet/ipad ユーザも大半はコンテンツ消化してるだけですよね。
- コンテンツ消化デバイスという点でみると、画面は初代 pixel fold の横長の方が良かったのになと思う。縦長動画を見るには左右がの余白がムダで、横長動画を見るには上下がムダ。活字コンテンツは全画面使えて良い。
- OS 全体の foldable への適応度は、まあまあ。時々ヘンなうごきをするが、それは自分が開発版 OS を使わされているせいかもしれないので、判断は保留。
値段は、電話機とタブレットを足したくらいなので、自腹で買うなら電話機 + タブレットかな。これは自分がめちゃライトユーザーである事実の反映だと思う。通勤も自転車で、外出時に大画面が欲しいことが少ない。いまは、昼休みの食後のダラダラインターネットをひやかす時間が主な活用場面になっている。
ただ画面がでかいのは、ムダではない。老眼年寄り固有の問題かもしれないけど、デカイ画面は圧倒的正義。トレードオフとしての重さはどうかというと、使用頻度が低い身には影響少なめ。なので foldable, tech enthusiast だけでなく年寄りに売るといいんじゃないかと思いました。
エーアイはすごい。それは間違いない。なんか頼むとコード書いてくれる。それがちゃんと動く。計画をたてて順番に進めることすらできる。すごい。Agentic Coding でエーアイが色々なことを「できる」事実には未来感がある。
一方、それが他の手段と比べて優れているかというと、何と比べるか次第である。
あるときエーアイをコードの migration (インフラ移行) に使ったケーススタディーの論文が投稿された。これを読んだ大規模コードベースの専門家は、こう苦情をいった。曰く: 「彼らは大規模リファクタリング自動化のツールを持っているのにそれを使わず手動の変更とエーアイを比べている。おかしい」
同じパターンは身近にもよくある。AI でなんらかのデモが動いた。そんなことができるなんてエーアイすごい!が、まさか実用とかしないですよね?それ他の自動化ツール使っても同じことできるし安いし早いし止まらないですよね?釘を打つのも野暮なので黙っている。
たぶんどこかで何らかの良心が働くであろうと期待はしている。それでもこの手のデモ作成が推奨され筍のように生えてきたら、一割くらいはうっかり滑り出て実用化され悲劇を招きはしないか。エーアイの「できるすごさ」にともなう感激・感動が価値判断を麻痺させないか。そんな不安がある。
仕事におけるエーアイのなかで一番悲しいのは「仕事にエーアイを使え」と言われることだと思う。
「製品にエーアイの機能を入れろ」なら、まだわかる。市場判断は自分の仕事ではないから。でも「仕事にエーアイを使え」はその自分の仕事のやり方を指図されている。嬉しくない。
大企業、仕事の仕方に縛りは色々ある。それは法制上の理由かもしれないし、様々なリスクからビジネスを守るためかもしれないし、局所的な利点でなく大局的な最適化を優先したためかもしれない。こういう縛りは嬉しいものではないが、理由はわかる。「エーアイを使え」には納得の行く理由を感じにくい。理不尽に自分の agency を制限されたように感じる。
「エーアイを使え」は空気であって、文書化された何かではない。行動規範に類する文書は「エーアイを理解しろ」のような言い回しが選ばれている。けれど空気はちがうことを言っているように自分には感じられて、それが息苦しく悲しい。
Workslop は、悪意のあるケースもあるが多くの場合は無邪気なもので、だからこそしんどい。
数ヶ月前「エーアイが書いてくれたんですよ!」と同僚が送ってきたコードにレビューコメントをしたら「エーアイが直してくれました」と切り替えされ、もうめんどくさいので全部 LGTM でいいわ・・・という気になった。同じ相手のまとまった量のコードをそのあとレビューした記憶がないので、彼がいまどうしているのかはわからない。
あるとき部門の “AI Day” があり、同じ同僚が「仕事のワークフローをエーアイにやらせました!思ったことをバーっと書き出してエーアイにたのむだけでソフトウェア・エンジニアリングに構造ができます!」というプレゼンをしており、その braindump から生成された Design Doc には “Alternatives Considered” というセクションがあった。誰が consider したアイデアなのかい・・・なんていう疑問が頭をかすめたが、深く考えないことにした。
心の健康を保ったまま Workslop を相手にする良い方法を見いだせていないので、今は暫定的に心を無にして LGTM することにしている。たぶんもうすぐレビューもエーアイがやってくれるようになると思う。人間を介在しないほうが平和でいい。
あるとき、agentic coding にそれなりの、とはいえそこまで長くない仕事の時間を費やして、まだ使えないなという結論が出たとする。
そういう話をオンラインですると「使い方が良くない・良い使い方をわかってない・スキルがない」といった類の反応が帰ってきて、ひどく消耗する。
自分は、それなりに agentic coding のやり方に関する議論に目を通し、それを適用したつもりでいる。一方で、時間や道具の制限もあるしやる気もそこまでないので万全を尽くしたとは言えない。だからその反応の真偽はわからない。自分が無能なのかもしれないし、問題に対してモデルやツールの能力が足りていないのかもしれない。
この「モデルが無能かお前が無能か」の議論はオンラインで山ほど繰り返され、あまり生産的には見えない。その不毛さが自分に降りかかるとうんざりしてしまう。
「仕事のバグがとれねーくそったれー」という他人に「デバッガちゃんと使えてます?仮説検証ループ回してます?」とか言わないでしょ。「そうときありますよねー大変ですねー甘い物でもたべてがんばりましょー」とかいうでしょ。エーアイツールもはやくそのステージになってほしいなと思う。でないとオンラインで管巻きもできやしない。わたくし別にエーアイの悪口もあなたの悪口も言ってませんから、楽しくやりましょう?
エーアイの躍進にあわせ、エーアイ・ビリーバーになってしまった人がよく目につく。
一番目立つしわかりやすいのは、エーアイの可能性に賭けてそれまでの職を捨てスタートアップなどに言ってしまった人々。いいですよね。人生賭けてる。リスクとってる。がんばって歴史に名前を残してください。
会社はやめずに、今のしごとのなかでエーアイの旗振り役になってしまった人。けっこう困る。その人が本当の believer なのか、Resume-Driven Development (あるいは大企業バリエーション Promo-Driven Development) なのかの判断に苦しむケースがけっこうある。職場というのは市場経済よりはトップダウンの計画経済なのでこういう局所最適な行動が起こるのだけれど、エーアイのような未知数の多い分野に計画経済は弱く、市場に歪みを肌身に感じやすい。しんどい。
現代の生んだ市場であるアテンション・エコノミーでも、エーアイによる気候変動を目にする。自分にとって気になるのは、ソフトウェア開発のある分野の第一人者だったような人が突然エーアイ・ビリーバーになってしまうケース。こうした転身エーアイ・ビリーバーの発言は、本来の専門分野に関する発言に比べて、なんというか、軽い。あまり裏付けを感じられない。エーアイ分野で裏付けのある発言ができる人はすごく少ないので発言の軽さにも無理はないと思う一方、発言を信頼していた人間の言葉が信じられなくなるのは悲しいものです。
こうした第一人者・インフルエンサーが、エーアイ・ビリーバーに転身する判断はたぶん合理的なもので、そのビリーブしている気持ちにも多くの場合は嘘偽りはないだろうと思う。悪意・他意があるとは思わない。ただこれは、究極的にはサンクスギビングで顔を合わせた親戚が MAGA になっていたのも民主党を不甲斐なさのせいにするのと同じで、なんというか、個人を責める気持ちが無いとは言え悲しみはある。
エーアイ、発展途上なテクノロジなので目の前の問題を解く役に立たないことはよくあると思う。ここでいうエーアイは agentic coding 及び周辺のあれこれを想像してもらえば良い。
自分の場合は使えるモデルが特定ベンダー製に限られているので、世の中の最先端でできるとされていることができないケースも多い。とはいえそのベンダーのモデルだって、バージョンが一つか2つあがればキャッチアップするであろうことは想像に堅くない。また MCP 的なインフラもサードパーティの実装を自由に使えるわけではない。自分の環境にあったインフラを誰かが整理してくれなるまでモデルが本気を出せないという面もある。
だから「エーアイ試してみたけどもう一歩モデルの賢さ・インフラの整備が足りてませんね〜一年くらいたったらまた試しましょ〜」と言って「エーアイを使え」という圧力鍋から出ていきたい。けれど「ダメでした」といいにくい空気があるように思える。
「空気」なので明文化はされていないし気のせいかもしれない。もし気のせいだったら教えてほしい。気のせいということにして通常進行に戻ろうと自分に言い聞かせるが、気分は晴れない。