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September, 2025

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The value of computer at (early) education pt.2

先日小学校での Chromebook を腐したあとふと OLPC (One Laptop Per Child) Project のことを思い出した。20 年前に打ち上げられたが、その後不完全燃焼に終わった非営利団体による途上国教育現場向けの廉価ラップトップ開発・配布プロジェクトである。

2009 年の CACM に外野による批評が載っている。その後スマホのようなものが普及して情報の dissemination はある意味で達成されたわけだが、そもそも教育現場(特に初等教育)にコンピュータがあるのは望ましかったのか。

というか自分は良くないと思っているが、何が良くないのかを少し真面目に書いてみたい。真面目にといってもなにか客観的なデータに基づいてはおらず、親として観測した範囲の不満を書くという意味です。

観測した範囲でのコンピュータの活用は、主に教員の負荷軽減に使われているように見える。たとえば: 紙ベースでやると採点がだるい理解度テストを、機械採点可能なスクリーンでやる。理解の遅れている子供に追加の説明をしている間、理解が先にいっている子供に無害な暇つぶしを提供する。その延長で、そこかしこにスクリーンを使った「自習の時間」をはさむ教員もいる。

理解度テストは頻度が低いので、基本的にスクリーンは「自習コンテンツの提供」が目的である。これはあけすけに言うと「教員の手が塞がっている間に子供を黙らせておくコンテンツ」である。したがってコンテンツが教員の手間に繋がるのは望ましくない。結果としてコンテンツは “engaging” である。つまり、計算とかに飽きた子供は gamification の題目で用意された avator 着せ替えや mini games に時間を使う。言うまでもなく、計算など多くの子供は一瞬で「飽きる」。スクリーンによる「読書」も、字の苦手な子にはアニメーションと音読のついた「本」が用意されている。

しかし建前としてコンピュータは「アイティーリテラシー」のために用意されているので、表面的に「アイティーリテラシー」を獲得できそうな課題、たとえばスライド作成とか作文、にも使われてる。しかし子供たちがなにをするかというと、ポンチ絵用の GIF search を使った画像探しや、コメント機能を通じたチャットに明け暮れている。

自分の意見として、教員の負荷軽減のためにコンピュータを使うのはある程度なら構わないと思う。大変な仕事なので。ただ、その事実をリテラシーだのイノベーションだのという言葉で隠さないでほしい(イノベーションではあるけれど、生徒や教員のイノベーションじゃないですよね?)そして、教員・教室ごとのスクリーン利用時間を公開してほしい。

そうすれば、まずリテラシーを名目にした時間と労力の無駄がなくなる。

教員のスクリーン依存度: 現状でも自分の子供がどのくらいどのアプリを使ったかは知ることができるが、それは重要でない。教員がどのくらいスクリーンに頼っているかが重要である。この指標は、教室単位の集計、クラス全体での「スクリーンタイム」として提供されるべきである(分布もあるとなおよい)。サービス業者も、そうしたトラッキングおよび過剰利用の制限を前提としたシステムを用意してほしい。つまり子供ではなく教員の利用に透明性を求めたい。労組がめっちゃ反対しそうだな。


「そうはいってもタイピングとかリテラシーでしょ」という主張は、間違ってはいないが隠れ蓑に口実を与えている。コンピュータリテラシーを教えたいなら、そうした専用の授業でタイピング、編集などの基本的な操作リテラシーを教えれば良い。コンテンツもインターネットもいらない。

「インターネットもリテラシーでしょ」というかもしれないが、本もろくに読めないような子供たちがインターネットをまともにリテレートできるわけねーだろアホか!家でやるのは勝手にすればいいけど学校でやるこっちゃねーわ。


究極的にこれは「人間によるサービスが贅沢品になる」時代の象徴と見ることもできる。そして学校教育のコストは、子供を甘やかすの尊厳を重視するほど高くなる。しかし総体としての予算は変わらないか減少傾向なので、結果としてコストカットの手段としてコンピュータが使われる。カネがある家のご子息は人間サービスのある私立に子を送る。

はーあ。

先日ある Podcast で ML-based オンラインラーニングにアカデミック実践を丸投げし人間サービスをサポートと非アカデミック活動に全振りする Alpha School という私立小中学校が紹介されていた。こういうの少し前だと全然信じなかったけれど、現状の computer use のダメさをひっくり返すにはこのくらいの radical さが必要なのかもしれない。

小学校でパソコン使わせるのやめてほしい(今更)

三年生になった子、自己紹介を兼ねた “passion project” の発表を Google Slide (on Chromebook) でするので準備してねという宿題に取り組んでいる。が、タイピングもできず人差し指タイプで 5 words / min、テンプレートも使わずページ毎に色やフォントを指定し、しかしポンチ絵の GIF を探す方法、トランジションエフェクトの設定方法などはなぜか身につけており、意味のあるコンテンツの生成と distraction の比率が 1:100 くらい。なぜ宿題でこんな時間の無駄を強いてくるのだろう。無力感。

更に悪いことにはタイピング練習は学校で時間をとらず自習が前提。これは、掛け算九九の暗記も特に学校からの支援がないという事実と符合してはいるが、ねーわ。そして、三年生は作文を Google Docs で書かせるらしい。やめてくれ。

小学校でコンピュータの使い方を教えるマシな方法は存在するだろうが、それを正しく実施できる期待がない。これは、大企業を正しく規制する法律は理論上は作れるだろうが現実的に法案が通る希望が持てないのに似ている。この状況下での現実的な対処は「コンピュータの導入を阻止・最小化する」だった。が、その決断は既にダメな方に下ってしまった。コンピュータ企業の城下町であることも悪い方に機能している気がすれど、まあどこも大差なく碌でもないことでしょう。仕方ない。自衛のためにタイピングは早めに練習させたい。

最近は「エーアイを教育の現場に」みたいなことを言っている人々を散見する。しかし少なくとも初等教育に限って言えばゼロ AI 一択だと思いますね。そろばんや電卓と一緒みたいなことうぃう人もいるけど、一緒じゃねーよ!てか電卓もやめろ!手と頭で反復練習しろ!

“Silicon Valley で Waldorf” はもはやミームとすらいえる陳腐なディスりファクターになっている(1, 2, 3) が、気持ちがわかってしまう。でも公教育に頑張ってほしい左派なので、学校たのむ。まじで。