Absence of Think-to-Write

Sam Altman がとあるインタビューのなかで writing は thought を externalize し idea を clear にするのに重要だという話をしていた。

https://www.youtube.com/watch?v=6pxmdmlJCG0

自分は考える時間が足りていないとここ数年思っている。Write-to-Think の教義に習うなら、書くのが足りてない。そしてこの不足は段々と悪化しているように思える。定期的に書く・考えるというアクションを取っていないと、書く・考える知的筋肉が失われてしまう、気がする。最近は、なにか考えないといけないと思っても集中に至るまでに時間がかかる。集中に至れないことも多い。

なんらかの方法で書く仕草を日常に取り戻したい。仕事にしても、それ以外にしても。

昔のように長いピースを書き切る力は、今はもうない。一方、毎月の箇条書きは「考える」に至っておらず、脊髄反射に終わっている。

プライベートなノートに頭の中にあることをダンプするのはたまにやっていて、ある種の役割を果たしてはいる。ただこう、なにかが蒸留される感じはない。もっといえば、考えが蒸留される感覚を長らく感じていない。しいていえば仕事で書いてるテキストは多少蒸留してるかもしれない。さすがに垂れ流しはできないからね。

書く力、考える力が失われた現状からいきなり蒸留ができるようになるとは思えないので、まずは定期的に書く・考える習慣を取り戻したい気がする。世代的な愛着からブログを書きたい気持ちはあるが、始めて続けられる方法もよくわからない。

なんらかのコミュニティのちからを借りられたらとも思うが、コミュニティに返せるものがある感じもない。というか、そういうコミュニティがどこにあるのかもわからない。note.com とかはてなブログとか使えばいいのだろうか。アウェイ感が強くて腰が気が乗らないんだよな。そんなことを 20 年前にも書いており、成長がない。