引っ越しから十年
湾岸地区に引っ越してきてから十年経っていた。引越してきた時に何を考えていたのか今となってはあまり思い出せないが、たぶん何らかの思惑はあった気がするので、それら(あったかもしれない)思惑と現状を照らし合わせてみる。
- 車は買い換えなかったし、買い足さなかった。
いきなり細かい話ですが、車。来た時に買った Subaru XV に未だに乗っていて、買い替え予定もない。車ってもっと頻繁に買い換えるものだと思ってた。たぶん自分の両親がわりかし頻繁に乗り換えていた印象に引きずられたのだろう。新しいのがほしい、もう一台欲しいと思うことは時折あるけれど、高いし維持費もかかるからねー。 - 車の運転には慣れた。
こんな殺人機械に適応できるのだろうかと思っていたが、した。なお運転は今も別に好きではない。 - 転職はしなかった。
スタートアップや新興企業で働くとかいいなーと思っていたが、能力とリスク許容度が釣り合っていなかった。クビになるまで大企業窓際社員をやってく所存。(最近は最初の条件のリアリティが大幅に高まっており不安だが、どうにかする気もおきない。) - 出世はしなかった。
東京オフィスの存在感が低いとかいう問題ではなかった。なお周りの人々は出世してますのでご心配なく(なんの?) - 遠くに引っ越しはしなかった。
子供が学齢になったらより文化的な都会に住む方が良いのかな・・・と昔は思っていた気がするが、引っ越しのようなめんどくさいことはしなかった。仕事もないし。そもそも「学齢期の子は文化的な都会に住む方が良い」というアイデアも特に信じなくなった。ベイエリア、いちおう少しは文化あるよ。少しはね。 - 町には出かけなかった。
The City すなわち San Francisco には月に一回くらいは行くのかなと思っていたが、行かなかった。遠いし混んでるし治安は悪いしで、行きたくない。年に数回程度。東京で中央線沿線住民が 23 区内に出る感覚とは違った。所要時間は大差ないはずなんだけど。 - 生活はいうほど大変ではなかった。
いや子育て大変ですけど、それはどこでも一緒だと思うので。
海外生活は大変という印象に反し、たぶん妻がわりかし実務能力が高いおかげでロードバランスできたため、さほど苦労した記憶がない。ていうかロード「バランス」というほど釣り合ってなくて、住居探しから学校関係まで妻の方がだいぶ色々やっている。あと給与がカツカツでないのと、労働時間が nine-to-five なおかげで金銭的・時間的バッファがあるのも助けになっている。 - アパート暮らしに不満を感じるようになった。
引越してきた頃はクソ広くて無駄だと思っていたアパート暮らしも、今ではだいぶ手狭。アメリカ文化(これは大きい主語で問題ないと思う)は色々な局面で戸建てを想定しすぎ。たとえば EV のチャージも自宅の電源がある前提だし、Costco で格安買いだめをするにも余剰冷凍庫が必要だし、ピザ窯は庭がないと置けないし、家の前にレモンがなってほしい。まあ、諦めてます。 - 給料が高いと感じなくなった。
バッファがあるとは書いたものの、端的にいうと(文化的に所有が前提とされている)家が高すぎて買えない。なぜなら隣人たちが皆もれなく高給取りだからである。しかも共働きが多い。なお「高いと感じない」だけであって目先の生活に困ってたりはしてません。ご心配なく・・・。 - 英語はできるようにならなかった。
なぜなら特に訓練してないからである。(してる人は上達してます。)英語ができないで困ることも、特になくなっていない。つまり困ることはある。ただ英語ができなくて困ることに失望はなくなった。あら行き止まりか折り返そう、みたいな気分になるだけ。 - 友達はあまりできなかった(特に非日本語)。
できるという期待はしていなかったような気もするが・・・。これは言語バリアだけでなく性格の問題もあるけれど。新しい知り合いはほとんどが妻経由の子供つながり知り合い。妻は基本的に日本語の人なので、そのコミュニティもだいたい日本語。ただ日本人として同郷コミュニティは大事にしたほうがいいなという謎のナショナリズムは芽生えつつある。 - テックコミュニティに参加はしなかった。
東京だとそういうコミュニティが色々あって自分も顔を出していたので、テックの本場でもそういうのあるのかなと思ったが・・・あるのかな?自分が参加することはほとんどなかった。熱心に追いかけているテクノロジが無いせいもあるし、車が一台しか無いせいもあるし、家の仕事も忙しいし。 - 日本のあれこれを miss することはなかった。
VPN とかでがんばってアニメをみたり日本帰省のたびにやたら買い物をしている人をみて不安を感じていたが、他人事だった。自分が割とアメリカ的なものに適応したというのもあるかもしれないけれど、それ以前にベイエリアは Asian sanctuary のため基本的な調味料や食材などは簡単に手に入るのだった。むしろ Chinese, Korean, Indian groceries へのアクセスが良い分食生活には恵まれている。なお外食は高いのでしてません。 - 友人関係より親が心配になった。
日本で miss するものといえば友人関係だが、インターネットがあるので一定程度は関係を保てている気がする。一方で親が年を取ってくると物理的に近くにいてサポートする必要を感じるが、それができない不安と罪悪感は年々高まっている。 - 屋外活動をするようになった。
ハイキング、ビーチ、ゆるキャンなど。基本的には妻の趣味だけど、子供がいると家にいるより外にいる方が色々平和。面白いかといわれると特別面白くはないが、気分は大変良い。地中海性気候下で暮らすには面白さより気分の良さを appreciate した方が良い。通勤ランもそういう「気分の良い」活動に数えていいかもしれない。
つまり: 期待したほどぱっとはしなかったが、恐れていたほど困ったことにもならなかった。うっすらと失望しつつ、うっすらと胸を撫で下ろしている。
自分の経験が一般的だと主張するつもりは一ミリもないけれど、一方でこの手の振り返りは成功者のバラ色体験談に偏りがちなので、こうしてぱっとしない、劇的でない事例も記録しておきたい。