失われるもの

Twitter の崩壊に伴い行先を探す話をよく目にする。後継は何だろうか、あるいは複数のサイトを巡回しなければいけないのか・・・。

こうした議論は、Twitter 的なものが何らかの形で復元されることを前提にしている。けれどその体験はもう帰ってこないことだってありうる。個人的にはもう帰ってこないだろうと思う。

かつて、ソーシャルメディアの隆盛と Google Reader の終了に伴いブログは失われた。ブログというものは現存するし、今まさに自分はブログを書いているわけだけれど、ゼロ年代のブログ体験と現在のブログ体験は地続きでない、現在(去年くらいまで)の Twitter 体験とゼロ年代の Twitter 体験だって別じゃないかというかもしれないけれどそこには連続性がある。ブログ体験の断絶とは比べられない。

ブログ以前だって、たとえばニュースグループというものがあって、そこには独自の文化があったが、今日では完全に失われている。

ブログが失われたのは、自分にとっては悲しい出来事だった。自分は Twitter があまり好きではないし熱心なユーザでもないので個人的には失われても大して困らないが、Twitter を根城にしていた多くの人は困っているだろう。気の毒ではある。


Twitter と並んで失われる気配のあるものとして、Reddit と Stack Overflow がある。これらは Twitter と比べ相対的には目立っていないが、コンテンツへのアクセス権をめぐるプラットフォームの経営陣とコミュニティのいざこざがキナ臭い。Reddit からは既に一部のコミュニティが Lemmy などへ逃げ出した。Stack Overflow は ChatGPT にトラフィックを奪われた。どちらも赤字経営と報道されている。

これらも、一度失われたらおそらくもう戻っては来ない。低賃金のテキスト生成労働が LLM を支える時代、無償提供前提の UGC に居場所はない。代わりはない。

そういえば昔々 20 世紀には Stack Overflow のかわりに TLDP という HOWTO 集約プロジェクトがあって、これは Stack Overflow の登場を待つまでもなくブログの隆盛に伴い姿を消したのだった。


自分の好きだったもの、頼りにしていたものが壊れて失われたとき、人はどうするのか。

焼け跡を片付けて、壊れた欠片を拾い集めて、そこで暮らし続けることもできる。誰も読まないブログを書いている自分は焼け跡で暮らしている自覚がある。旧 Twitter や、その類似サービスを使い続ける人も多いことだろう。かつての魔法のような日々は帰ってこないけれど、何もないよりはいい。

新しい、勢いのある界隈に河岸を変える人もいるだろう。かつてのブロガーの多くは Twitter に河岸を移し生きながらえた。Twitter の influencer がより新しいメディア、たとえば TikTok を始める様子を想像するのは少し難しいが、とはいえ Substack などの newsletter に主軸を移した人は多い。

Reddit や SO のようなニッチで個人が目立ちにくい世界に住んでいた職人の新しい活躍先は自分にはわからない。そんなものはないのかもしれないし、そのうち新しい何かが現れるのかもしれない。

廃墟を捨て河岸を変えられる人の方がインターネットでは長く活躍できるのだろう。でも自分はどちらかというと焼け跡で欠片を拾う側の人間なので、そうした人々にも幸あれと祈ろう。