Accepting The Funny Mediocrity
2 年前に書いた Having Fun on The Dead Carrier は思ったより正しかった。けれどまだ板についていない。
8 年くらい前、それまで Web に傾倒していた反動で Android アプリプログラマに鞍替えした。結局モバイルはそれほど好きでないと思いつつ今日に至っている。ML やクラウドといった世の流行りに沿った仕事ができる日はこないだろうし、勤務先はともかく一般にモバイルエンジニアの給料は低い。だから異業種も同業種も転職のあてはない。なら今の職場で出世できないかと頑張ってみたが器でないことがわかった。
もはや仕事には大きな変化を期待していない。今のような業務が、少しずつ姿を変えながら、少しずつ給与を下げながら、ずっと続くのだろう。続くならまだいいが、勤務先でもレイオフが起きた。もはや継続性すら疑わしい。レガシー分野のプログラマ、将来が不安。
日々の業務が嫌というわけではない。チームを移ったばかりで ramp up するストレスはあるにせよ、理不尽なことにイライラしたり退屈すぎてうんざりといったことはない。ぼちぼちコードをかいて、ミーティングとかで人と話したりして、他人のドキュメントやコードをレビューもして、定刻に職場を出て家に帰る。20 代や 30 代のような熱意はないが、嫌でもない。コードを書いて何かが動けば多少の満足はある。レイオフは、今のところやり過ごせた。日々は平凡なりに滞りない。
憂鬱なのは将来を考えるときだ: 大きなことを成し遂げることはないだろう。大きな何かに立ち会うこともない。かつてのように夢中で働くこともない。でも、それがキャリアの帰結なので仕方ない。ぱっとしませんでした、残念でしたね。というだけ。
スキルがレガシーで、特定大企業に最適化されていて、その企業の先行きは不安。しかし現代的で勢いのある職場・職種に鞍替えする資源やリスク予算がない。息苦しい。「仕方ない」とは言いたくないが、自分のパラメタを鑑みて現状を選んでいる。より良い答えは特にない。ぱっとしない中年、将来が不安で息苦しいですね、というだけ。
一年の終わりやはじまりに我が身を振り返り将来を思うと、憂鬱が露わになる。それをを拭うことはできないかと考え、できないと思い至り絶望する。何度も何度もこれをループして時間を溶かし、心をすり減らせる。不毛。
業務でない課外活動は将来への準備だと思っていた。けれど準備が実ったことはない。大した準備もできなかった。少しばかり課外活動をしたくらいで将来有望な仕事に鞍替えできはしない。暇も体力もない自分が、暇で元気な若者が注ぎ込む湯水のような時間の勢いに競り勝てるはずがない。(これはぱっとしないなりに結果を出した裏返しでもある。全てを投げ出し新しい分野に掛け金を突っ込むよりは目先の仕事を続けたほうがマシと考えているのだから。)
新しい仕事のために新しいテクノロジを学ぶ - そんなファンタジーがなくなると「将来への準備」はただ気が重い。出世のための本を読む。LeetCode でレイオフに備える。希望を呼び起こしてくれた課外活動が、不安と憂鬱を反芻する時間になる。とても続けられない。無念や不安と毎日向き合う根性は無い。
準備はもういやだ。キャリアの残念さや、将来の不安や、根性のなさは受け入れるから、課外活動くらい楽しいことをしたい。それが Having Fun on The Dead Carrier だった。この結論は今も変わらない:
職業プログラマとしてのキャリアが冴えない結末を迎えるとしても、迎えるからこそ、そのキャリアを通じて発見した価値を大切にしたい。新しいテクノロジを触る刺激。コンピュータサイエンスのセンスオブワンダー。プログラミングの充足感。枯れ果てた未来の水やりに追われてこの美しい園を失ってしまったらあまりに悲しい。
日々の業務はきんとやるとして、その外では楽しいこと、役に立たない学びのあることを好きにやる。課外活動は将来のキャリアへの準備ではなく、キャリアから得た楽しみの養生。この二つが交わらないのは残念だが、交わらない以上どちらかを選ぶ必要がある。
トレードオフ。
課外活動では、被雇用準備による将来収入の改善という金銭的な利得を、価値観の養生という Well-being と引き換えている。根性がなく、頑張ってなにかやるのが高く付く(頑張れない)のでこのトレードオフを選んでいる。
昼の仕事では、やりがいや裁量といった個人的な関心を引き換えに、払いの良さという金銭的な利得と9時5時労働という時間的な利得を選んでいる。家族を養う稼ぎの必要性と家事子守という家庭の責務からこのトレードオフを選んでいる。
この二つを組み合わせると、昼の仕事で金銭を選ぶ代わりに課外活動で金銭以外を選んでいるとも言える。トレードオフとしては妥当な範囲と言えるんじゃないか。
トレードオフが必要という事実、つまり仕事のやりがいと収入が両立しなかったり、課外活動の充足と将来の準備が両立しないのは残念だが、それがまさにキャリアの失敗であり、ぱっとしなさなわけじゃん。それを無視してうまく行っているフリをしたら、家庭や Well-being や金銭を予期せぬ形で損ねてしまう。金銭は家庭や Well-being の足場なので、結局は家庭と Well-being を選んでいる。書いてみるとあたりまえの話だった。
もっと根性や計画性や先見の明があってキャリアをうまく積み上げられればよかったとは思う。けれどそうした後悔で日々を惨めなものにしたくもない。だから Have Fun と繰り返し言い聞かせ、選んだ現実を日常に塗り重ねていく。