Social Media 復帰 (に失敗)

ここ二か月くらい、またソーシャルメディアで管でも巻いてみるかと思い、Twitter に新しくアカウントを作りログインしていた。動機としては、近所・・・つまりベイエリアとか・・・にすんでいる日本人の知り合いが増えたらいいなというもの。

が、この目論見はうまくいかなかった。全然。

まず、近所に住んでいるとおぼしき人々の Twitter 上での発言を自分が楽しめなかった。海外在住日本人のソーシャルメディアはどうしても expat 的な自意識が働きがち。必ずしも出羽の守とまではいかないけれど、日本から見た海外在住者としての自分をコンテンツにするメディアの圧力がある。そういうの、地元民として接したい身からすると鬱陶しい。東京に住んでたらその手のことわざわざ書かないでしょ、みたいな。あとベイエリア固有の現象として、つよつよエンジニアとしての自分をコンテンツにしている人も多い。意識低く生きている自分はそういうのも眩しすぎて苦手。これらのマジョリティ(?)を排除していくとちょっと個性のある主婦っぽい人のアカウントしかフォローに残らず、こうした人々の内容は割と好きなんだけど、主婦だけフォローしてる中年男性の自分どうなの・・・という居心地の悪さが拭えない。

Expat 及びつよつよエンジニアの皆さんは、実際にオフラインで会って話すと必ずしも悪い人々ではないのだが、Twitter というメディアとしての圧力が人々の中にある自分の苦手な側面をあぶりだし、強調してしまう。それが厳しい。

新しい知り合いが増えそうにないなら、せめて旧知の関係を温故しようと地元の知り合いをフォローしてみた。これは悪くなかった。知り合いたちに expatty な面がないとはいわないけれど、相手の素性を知っているので近況報告としての側面がネガティブな気持ちを上書きしてくれる(場合もある)。ただ、我ながら知り合いの少なさを痛感してしまった。知り合いが少ない以上に、Twitter 上で発言している知り合いが少ない。もうちょっと発言してくれればいいのだが。

ただいざ久々に Twitter をしてみると、人々の発言が少なくなるのもわかる。というのは、面白いことを書くのは難しいのだよね。たとえば自分だと会社に行って・・・というか最近は出勤すらせずもっぱら家で働いて、家事子守して寝る、みたいな暮らしをしており、書くことがない。自分は最近は炊事を熱心にしているのでメシ写真とかを投稿してみたものの、別に特段素敵なものを作っているわけでもない。週末のハイキング先の写真とかは面白くないなりに記録としてはアリだけど、だいたい現地にアンテナがなく投稿できない。

結果として自分の発言にコンテンツとしての価値がうまれない。仕事とかテクノロジー話とかを書けば一定程度の面白さはあるんだろうけれど、地元の人々と接する文脈では役に立たないどころか、非地元の日本語圏アカウントを呼び寄せてしまい関係形成の観点からうれしくない。つまらないことでも書けばいいといえばいいけど、それだとだれも自分をフォローしないよね。つまり Twitter で知り合いを増やしたいなら自分に「面白さ」すなわちコンテンツとしての価値が必要で、しかしそんなもの、普通はないのですよ。プログラマという職業的な側面や、インターネット中毒者としての側面をフィルタすると特に。

個人のコンテンツ化という視点でみると、この地の人々が expat やつよつよエンジニアになるのもわかる。それなら比較的簡単(というと怒られそうだけど)にコンテンツとしての価値を提供できるのである。自分がローカルで価値のあるコンテンツになろうと思ったら地元民として熱心に活動する必要があり、つまり買い物・外食・イベント・地元ニュースなどに気を配らなければならず、じっさいその手のお役立ちアカウントをフォローするとありがたいわけだが、自分がそんな活動をする気にはなれない。つまり自分は Twitter 上に存在する価値がない。Twitter は「発信」することがある人たちのプラットホームなのだと思い知らされた。退屈な庶民に出る幕なし。

なお自分の妻氏は地元民としてかなりアクティブに活動しており面白いコンテンツをもっているのだが、それらはもっぱらプライベートなグループチャットに配信されているのだそうな。もったいない(余計なお世話)・・・。

この「コンテンツの価値フィルタ」によってアクティブなユーザを絞り込んでいる以上、Twitter 上に新しい人間関係を期待するのは筋が悪い。潜在的な近隣住人が大量にフィルタアウトされてしまうし、自分自身もフィルタされ他の人の目につかないから。そういうのは Twitter 以外の場所でやれということなのでしょう。


それでも Twitter 上で発言を続けている逞しい知人たちをフォローするためぼちぼち眺めたりつまらないことを書いたりしていたら、先の大富豪買収騒ぎが勃発した。個人的に大富豪の動向はどうでもいいのだが、人々がその話ばかりするせいで場の空気が悪くなってしまった。平和を求めてソーシャルメディアしてるんだから、キナ臭い話はしないでほしい。加えて、何人かの知り合いたちが Twitter から Mastodon に引っ越してしまった。もともとアクティブな知人の少ない timeline なので、数人いなくなるだけでもう 2-3 人しかアクティブな知り合いが残っていない。

といったところ嫌気が差して観念し、サインアウトしアプリは消した。ソーシャルメディア・・・というか Twitter ・・・に復帰しようとする試みは二か月くらいで頓挫したのだった。まあ、間が悪すぎたね。なお Mastodon は標準で RSS をサポートしているので、彼の地に旅立った人々の発言は feed reader で拝見してます。


問いが二つある。1. Twitter は、もし使うのであればどのように使うべきものなのか。2. 知り合いと交流したいならどこでやるのがよいのか。

まず Twitter の使い方について。ここは、自分を含む多くの人にとっては何かを発言する場所ではなくなっていた。自分は従来のアカウントで podcast の宣伝とかをする必要はあるが、なにか個人的なことを書く動機はない。何かを発言する場でもないし、従来の意味でのソーシャル活動、つまり管巻きとか社交、をする場でもないと思う。不可能ではないが、プラットフォームのインセンティブと合ってない。

ではどう使うのが正しいかというと、面白いこと、興味のあることを投稿している人・・・すなわち Twitter 有名人・・・をフォローして眺めるのに使うのだろうね。個人的な人間関係は混ぜず、発言もせずに、情報収集、ニュースメディアとして使う。自分だったら、興味深いプログラミング・ソフトウェア開発に関係するアカウントを沢山フォローして眺めるのがよいのでしょう。タイムラインもアルゴリズムに任せて、流行っているものを織り込んでいい。これはそのうちまた別のアカウントでも作って試してみたい。ただ子ができてから情報中毒者を引退し咀嚼スループットが失われているので、今は無理だな。意識が高まったときにでも挑戦します。そういえば昔 Nuzzel というツールでそんな読み方をしていたのを思い出した。Twitter に買収されてなくなっちゃったのだよな。

2. 知り合いと交流したいならどこでやるのがよいのか。たぶん都合のいいメディアというのは存在しないのでなんらかの努力が望まれる。ただここに書くには長すぎる話題なので割愛いたします。とりあえず Twitter でないことはわかった。そういう時代は 10 年くらい前でおわってました。