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今年は真面目に働いて出世を目指すという挑戦をしてみようと思い、趣味活動を止めて仕事に注力してみたが・・・無理げ。

なお仕事に注力といっても別に残業するわけではない。 ただ課外活動が楽しいと本業のアテンションを奪いがちなので、ガツっとした趣味活動は控えることにしていた。 仕事に関係する本を読むとか、やる気がないときは YouTube 見るとか、そのくらいにしておく取り決め。

だけど、出世を目指すのも課外活動をとめて仕事の生産性を高めるのもうまく機能しなかった。


無理さの一つ目として、まず出世について考えれば考えるほど仕事が楽しくなくなる。 他のチームとのパートナーシップを頑張ってなんかするとか、自分は性能担当という立場柄自然とそういう仕事が増えがちなのだが、 そういうのはマジで楽しくない。自分のコードで問題を解決するんじゃなくて、問題を見つけて直してもらうわけ。 問題を見つける作業自体はそれなりに面白味があるけれど、それを人にたのむとか、もうね。 しかもパートナーというのは部下とかじゃないから全然やってくれないわけ。 そういうのつつく仕事とかさ、楽しいわけがない。

チーム内での initiative を found/lead するとかも、アイデアがないではないけど別にやりたくない。管理業務が増えるだけじゃん。 プロセスを整備して、参加を説得して、それを回すとか、尊い仕事なのは否定しないけど、やりたくない仕事をやるからこそ尊いという面があるわけだけど、やりたくない。

出世のためにこういうのを一時的に、たとえば一年とか頑張って、結果として何か良い立場になれるならいいんだけど、 むしろそういう仕事が多い身分になってしまう。全然うれしくない。やる気が起きない。 金を稼げる可能性があるのは素晴らしいが、そのためにやりたくない仕事を我慢しつづける、というアイデアは受け入れがたい。精神力予算を捻出できない。

そういうリーダーシップな身分になって、部下は持たないまでも色々なミーティングに呼ばれるようになり、 部下はもたないまでも様々な workstream を通じてチームメンバーを指導啓蒙するようになり、 そんな中で自分は何を学べるのか。いやリーダーシップスキルとか学べるんだろうけど、そんなの別にいらないよ・・・ むしろクラウドとかモダーン言語とか触らせてくれよ・・・。

しかも管理職と違い、出世はキャンセルできないのである。管理職は IC に戻れるが、リーダーはヒラに戻れない。 なんでだよ。もしやる気出せなくて生産性低下とかした日にはクビになっちゃうじゃん。リスクが高すぎる。 他のチームに移るにもリーダーシップレベルにあった仕事を選ばなくてはいけなくなり、そんな期待値を meet できるはずがない。 だからリーダーシップになってからチームを移る人は少ない。

このイヤさ、無理さは出世チャレンジを始める前から予期していたが、予想が外れる淡い期待があった。 が、今のところその期待は微塵も満たされていない。むしろ目を凝らした結果イヤさの解像度が上がってしまい、 積極的にやりたくなくなってしまった。

はー・・・。 まあ、器が足りてないのだろうなあ。もっと圧倒的コーディング力があれば、その実力を理由に出世できるわけで、 引き続き実力を発揮しつづければよい。しかし自分の場合はテクニカルな実力不足をリーダー税で埋め合わせないといけない。 前にも書いたなこれ。

そして今のチームにいてもその実力が上がる気がしない。 自分に期待されているのは窓口業務であり、すごいコードでチームをリードすることではないから。 なんか遅いといわれたら遅い原因を調べて、遅さの原因をつくった人に文句を言って、直すのを手伝ってあげる。 毎年この繰り返し。

ここ二年くらいは COVID だの WFH だので慌ただしく、仕事をこなすだけで精神的に精一杯だった。 年末年始にようやく気持ちを立て直し、金欲しさに仕事をがんばろうと年初に決意をしたが、 いざ取り組んでみると先の暗さが際立った。


無理さの二つ目として、課外活動ゼロはしんどい。仕事がつまんないとき(つまり大部分の時間)、人生に楽しいことがない。 ただ楽しいだけでもだめで、アニメ見るとか YT 見るとか、そういうのだけだと満たされないことがわかった。 なにか勉強するでもオープンソースするでも論文読むでもいいけど、前に進んでいる気分になれる要素が欲しい。 それがないと、自分の中の水がどんどん枯れていく感じがする。

理想的には仕事がそういう「前に進む感じ」に繋がればいいんだけど、残念ながらあまりそれはない。 SQL 書くとかは楽しいし学ぶことはあるけど、付け焼刃の域を出ない。成果を出すのを優先すると何かを学ぶのに時間を使えない。 明らかに足りてない手持ちの駒だけでゲームしてるこのかんじ、しんどい。

皮肉なことだが、仕事は自分の不足、勉強すべきものを教えてくれはする。 たとえば自分は Linux のスケジューラに詳しくなりたいし, EDA や統計を含むデータサイエンスはちゃんと勉強したいし, MediaPipe とか On-device ML 周辺のスタックも勉強したい. モニタリングもできるようになりたいし, Data Warehouse の基礎もやりたい.

でもこういうのは「今」必要なのであって、仕事は自分が勉強するのを待ってくれない。 問題は次々にやってきて、それを表面的な知識でなんとなくやりすごしていく。

客観的に言って、自分はこういう「やるべき勉強」をやればいいはずだが、 どうにもやる気が起きない。やる気がないというと御幣があるかもしれないが、とにかく実施できてない。 動機がどうこうより、単に元気がないせいなかんじがする。日々が楽しくないと元気でないじゃん。

結果として趣味性の高い余暇活動も、仕事の勉強もしておらず、停滞感と枯渇感だけがある。


この二つの厳しさ、つまり仕事の積極的なやりたくなさと、余暇活動の不在の二つが重なり、 しんどい。生産性もゼロ。

打ち手はいくつか考えられる:

けどまあ、出世を通じて金を稼ぐのは自分には無理そうというのがこの 2-3 カ月の結論ではないのか。 あまりに残念すぎる結論なせいで、なかなか受け入れることはできないけれど。

ただ仕事をほっておくかどうかはさておき、業務時間を超え課外活動を犠牲にして仕事を頑張ることができないのは残業チャレンジの失敗からも確かだろう。 精神衛生の保護という観点からも、業務時間外で仕事について考えるのはやめた方がよい気がする。

つまり、自分は課外趣味活動を再開したほうがよい。 余暇は楽しいし、仕事にまつわる憂鬱な考え事を遠ざけてくれるから。 これは今日の結論としてよさそうである。


では仕事はどうするかというと、

まず現状維持がどうかというと、楽しくはない。これは仕事がもともとそんあに楽しい性質のものではないせいでもあるし、マネージャとか PM とかの関与が増えた結果以前より楽しくなくなった面もある。ただ出世しないと決めれば期待値は下げられるので、少しは気が楽になる可能性はある。

パフォーマンスからは手を引いて、もうちょっと違うことをやらせてもらう。いまいち現実味を感じないね正直。結局なんらかの性能問題が発生し続けることはわかりきっており、そういう火が視界に入る中で無視して違うことをやるとか無理でしょ。チーム内での人間関係が大幅にひずんでしまう。問題児になってしまう。

違うチームにいく。今のチームで積み上げたカルマは消え去るので、出世の見込みは完全に消える、のみならず、一時的には給料が下がる。仕事は、少なくとも一年くらいは何かしらの学びを期待できる。

書き出すと違うチームに行くのが良いように思えるが、なんとなく不安と名残惜しさがある。性能対策いろいろストレスあるけど、この成長チームに 5 年近くいるおかげでチームの中での立ち位置もあるし、組織も比較的よく理解している。そういう組織経験に伴うラクさはある。このラクさは、仕事本体の大変さとは直行している。仕事も、面白くないことも多いが少なくとも評価はされており、立場の無さからくる不安は薄い。製品もそれなりに成功していて、景気の悪さからくる空気の淀みが少ない。これは勤務先のような成熟大企業では割と珍しい。

つまり今の身分はミクロには悪いがマクロには良い。このミクロな悪さをなんとかできないものかと思っている。一方でこのミクロとマクロのギャップはブラウザの仕事をしていた時と似た既視感がある。チームや製品ががよくても、自分の仕事がつまらなかったらそれはつまらないのだよ、多分。


アプリの性能改善にはそれなりにフロンティアがあると感じているのも、迷いに繋がっている。自分たちのやっている仕事はある面で SRE 的な性格を持っている。つまりクライアントサイドでありながら、生きたソフトウェアを相手にしている。Site じゃなくてアプリなので App Reliability Engineering みたいな。カメラのようなクライアントサイドの複雑さが集積したアプリを、現代のテクノロジの力で「安定稼働」させる。クリーンでテスタブルなコードを書けばみんなハッピーでしょ、みたいな 20 年同じことを言ってるアジャイル勢とは違う、より現代的なソフトウェア開発の視座を手に入れつつある、しかも分散システムじゃなくクライアントサイドという特殊性から立ち上がるユニークさもある。それを追求したいという気持ちがある。

が、それを追求しようとしてやることが他人の遅さを探して問い詰めたり、関係各位の合意をとって API を開けてもらうような仕事なのだとしたら、というか現状そうなわけだが、うれしくない。テクノロジのフロンティアを開拓できるかもしれないという理想上の期待と、目の前にある現実にギャップがありすぎる。ここにも既視感がある。つまり App Reliability Engineering なんてのは自分の妄想の産物にすぎず、現実は終わりなき firefighting なのだよ、みたいな。ブラウザ仕事の最後の頃、こういう幻に振り回された苦い記憶がよみがえる。

隣のチームは、レイテンシという自分の守備範囲以外でこの Reliability Engineering 業をかなり見事にやり遂げている。 一方でそのためのがんばりはプロセスの整備やチームの立ち上げをはじめ自分の苦手分野のものが中心で、あまりできる気がしないし、積極的にやりたい気持ちも湧いてこない。 覚悟が足りないといってもよい。自分の TLM がそういうのをうまくやってくれるといいんだけれど、残念ながら期待できない。難しい問題なので文句をいう気もない。

自分が今のチームでやる意義のある仕事があるとしたら、この App Reliability Engineering というファンタジーを現実のものにする leap of faith を実行に移すことなのだろうね。 それがうまくいけば出世もできるし、うまくいったということは何らかの解決をしたということで、そこには学びもあることでしょう。 一方で、そんな難しくて大変で苦手なことに挑戦すんの?という疑問もある。organizational change とか、自分には何の強みもない分野じゃん。 こういうのうまくいった体験談は survivor bias でかっこよく見えるけど、下手したら burn out していまうし、そうでなくても他の仕事の可能性を犠牲にしている。機会損失がありうる。

もっといえば、具体的に何をすればいいのか全然わからない。そして具体的な道筋を figure out するまでの数年間、今のしんどい火消し仕事が続く。何も figure out できないかもしれない。

やるべきことがあるのにしんどくて逃げてしまった記憶は新卒で入った会社にさかのぼる。 あのときは仕事だけでなく若気による鬱思考などもあってがんばり切れなかったし、 あの会社はどのみち成功しなかったので逃げ出した判断は結果としては悪くなかったが、 やるべきことをできなかった名残惜しさはなかなか消えなかった。そのあとの自分のキャリアも別にぱっとしなかった。

今はそれよりはずっと見込みのある状況で、つまり自分の実力とやる気がボトルネックで、製品自体はそれなりに見込みがある、気もする。


ただ翌朝になって考えてみると、excitement より nervousness が勝っている感はある。 excitement の絶対量はこれまでの仕事より大きいが、コミットメントに伴う nervousness も大きい。 仮にこれを成し遂げたところで、自分を待っているのは at best で給料は多いが責任も多い立場。 そしてそんな成功があるとは限らない。そしたら中途半端な責任と増えない給料だけが残ることになる。そして一年以上の時間が失われる。 それは worth なのか。


たぶん、課外活動の時間、趣味の時間は、は自分にとっては safety net のようなものなのでないか。心の拠り所というか。 趣味に時間をとられすぎて仕事がおろそかになる、仕事は適当にやって趣味だけやるのは雇用をリスクにさらすのでダメだが、 仕事を頑張るからと趣味の時間を失うのも、精神衛生をリスクにさらすのでよくない。

以前は課外活動をキャリアを前に進めるための時間ととらえていたが、今の自分にとっては役割が変わった。 課外活動は仕事や家庭といった潜在的なストレス減から自分の心を守るために必要なものとなった。 課外活動、趣味に没頭して頭をストレスから切り離すことで、健やかな心を守ることができる。 なにか退屈だったりやりたくないことがあるときに、前向きに頭を使えることがある。 今の自分にはそえが重要。だから課外活動を途切れさせてはならない。 常に楽しい、頭を使える活動があるように積極的に計画などをしたほうが良い。

とはいえ課外活動が大変すぎると、いくら楽しいとはいえ自分の obligation である仕事や家庭に悪影響がでてしまう。 そういう過剰な課外活動は sustainable でない。途切れさせないよう気を遣うと同時に、大変すぎないよう throttle する必要がある。

逆にいうと、こういう心の拠り所があれば仕事が仕事が大変だったりイヤだったりしても頑張れるんじゃないかな。 幸い仕事の残業とかで課外活動の時間が奪われてしまう危険はそんなにないので、こうしたバランスを保つには割となんとかなる気がする。


というわけで、

あたりが next steps ということでいいんじゃないかな。