Spinach Forest

July, 2021

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Links, July 30

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Neeva

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自分が Google の良心と目していた Sridhar 氏、二年前に会社をやめてプライベート検索エンジンのスタートアップをはじめていたのは知っていたが、昨日 podcast でインタビューにこたえていた。その Neeva という検索エンジンが既にサービスを開始していたと知る。

せっかくなので sign up して使ってみる。$5 / month だが最初の 3 months は無料で、入門セットアップをやると更に 3 months ぶん延長、合計 6 months 無料になる。

他の代替検索サービス同様、ウェブ検索は Bing を使っているらしい。ただ自分でも多少はインデクスをもっているのか、ランキングと表示だけいじっているのか、ニュースとかショッピングとかの検索はそれなりに専用の UI がある。あと Google にはない細々とした設定がある(一方で Google にある機能も色々無い気はする)。

プライベートサーチならではの機能として、Google, Dropbox, Notion などにリンクして Gmail なりノートなりのテキストも検索できるようになる。

モバイルアプリはなくて、ウェブのみ。ただ求人をみたらモバイルも募集してたので、やる気はあるらしい。


せっかくサインアップしたのでデフォルトのサーチにして使っているが、今のところ出来が良いというわけではないね。

個人的に検索は広告やプライバシー以前にスパムが問題だと感じていて、そこに何か答えがあるわけではない。たとえば「電子タバコ」の検索結果とかやばいじゃん。これが "e-cigarette" だと随分マシになるので、労働集約的な解決しかないのではないかという気がしている。

プライベート検索として Gmail が対象になるの、便利といえば便利な一方で脱 Google したい人のサービスで Google アカウントのデータを検索するというのはなんとも皮肉。今後色々なものに対応していくのだろうけれど・・・。ただ世の中の多くの「プライベート」なデータって API ないよね。特にメッセージングの類。Twitter のようなソーシャルメディアも API には制限があるし。

人々はプライベートで ads free というところにどれだけ価値を見出すのだろうね。たとえば Apple / iPhone はプライバシー重視とされているが、人々べつにプライバシーのために iPhone 買ってるわけじゃないよね。出来が良いから買っている。プライバシーは cherry on top of cake というかんじで、大半の人にとってキラー機能ではない。Apple が strategy credit を生かした付加価値としてプライバシーをやるのは正しいが、Neeva どうなのだろうか・・・。Podcast の中でホストが "Apple に買収されるしかないんじゃ?" と突っ込んでいたけど、そういうかんじだよな。

たとえば世の中には VPN のサービスが色々あり、人々は luxury としてそこそこ金を払っている。だからプライバシーに金を払う人はいる。一方で VPN は利便性は損ねない。

プライバシーを気にする人が、DDG のような匿名志向の検索ではなく色々データを預ける必要のある Neeva を選ぶのか、というのも気になる。Ads を介して個人情報を売られるのを気にする勢と、データを預けたらそれが breach される可能性を気にする勢がいるはずで、Neeva は後者の問題を解決していない。

と書いてみると、自分は人類のなかでもかなり pro-Google なバイアスがある身分なので、Neeva の価値をちゃんと判断できる気はしないなあ。まあ無料期間のあいだしばらくは使ってみます。

新聞

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左傾の強さを示すゴタゴタに嫌気が差し 2 月におためしで NYT 購読を切ってみたが、また再開することにした。半年しか続かず。


不購読期間中、他のニュースサイトなどを見てみた。

まず paywall のない AP News. 大きなニュースのヘッドラインを眺めるにはいいが、圧倒的なつまらなさがある。文脈の解説とか全然ないし、ガンと取材した厚い記事、社会面的な記事もない(あるが、面白くない)。自分は別に最新ニュースとか興味ないということがわかった。左傾のウザさはなし。

普通だったら高すぎてまず購読しないがなぜか会社が sub してくれている FT. 割と良いが、方向性としては日経新聞なので社会の動向的な記事は少なめ。あとイギリスの会社なのでアメリカと微妙に距離がある。社会面みたいな記事を読む時はどっちの国の話をしているのか気にしないといけない。やや左寄りではあるが NYT のような暑苦しさはなく、ウザさは低め。Paywall が高すぎて free tier ゼロなので、誰にもシェアできないのは若干盛り上がらない。あと仕事ラップトップでしか読めないのは不便。

The Guardian. Paywall がないのはいいが・・・暑苦しい。こんなら NYT でいいやという感じ。最初はぼちぼち見ていたが、すぐ見なくなった。

CNN. テレビ的すぎて辛いのですぐ脱落。

Google News. ひさしぶりに unblock してみたが、やはりパーソナライズの結果としてしょうもないガジェット情報ばかり集まってくるのですぐブロックした。わたくしのしょうもなさを学ばないでいただきたい。ニュースも、結局 paywall がないサイトはいまいちなのが多い。自分はテック以外の興味深いテキストが読みたいのであって必ずしも最新ニュースが読みたいわけではないのだなと再確認した。

興味深いテキストという意味で、たとえば The AtlanticThe New Yorker あたりの雑誌を購読しようかとも思ったが、改めて冷やかすと話が長い割に情報量が少なく、そういえば雑誌ってこういう感じだったな・・・と我に返る。本題を薄く引き伸ばす "eloquent writing" は non-native reader からすると単なる負担。


で NYT. 自分のアメリカ感は NYT によって構築されている部分が多いので、読まずにいるとなんとなくアメリカがよくわからなくなり、落ち着かなかった。FOMO と言われればそれまでだけど、外国人としての所在なさを緩和するため自分に必要な所作なのだと思う。ニュースをガン無視して暮らすとか、その土地で生まれ育って社会に根付いている人にだけ許される贅沢・・・はいいすぎだけども。

あと book review とか parenting とか cooking とか割と見てるな。そういえば。安定した活字源としての期待ってあるよね。こんなに知的に依存しちゃっていいのか不安はあるけど、英語話者としての自分の知性はそんなもんということでしょう・・・。


閑話休題。

色々なニュースサイトをつまみ食いした結果、複数の新聞を購読する人の気持ちがわかった。あれは必ずしも全紙くまなく目を通したいのではなく、各紙の良い記事だけを読みたいのだね。どの新聞にも程度の差はあれよく書けた記事というのが存在する。渾身のスクープかもしれないし、思わぬ切り口の社会面の記事かもしれないし、特別なゲストの op-ed かもしれない。ただ、そういうのは数が多くない。だから複数紙購読しておき、それぞれで話題になっているやつを読む。あるいはソーシャルメディアとかで流れてきた記事を paywall に邪魔されず読む。そういう贅沢 (?) が複数紙購読というものなのだろう。自分ももうちょっとヒマとカネがあったら WP と WSJ あたりも sub したいけど、さすがに高すぎ。それに良い記事だけに限っても読むヒマなさそう。

電子タバコ

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日本語のウェブサイトを見ていたら電子タバコの広告が出ていた。

ちょっと前に JUUL がすごい勢いで駆逐されたアメリカの事例を思い出し、日本ではどうなってるのかと軽く調べると・・・日本の電子タバコはニコチン入ってないのね。どこが嬉しいんだそれは・・・。JUUL で問題視された電子タバコの被害はニコチン自体でなくその他の成分の毒性だった気がするが、ニコチンないと依存物質がないのにその他の害だけを被ってしまう気がする。CDC のガイドをみるとニコチン以外の害の記述はいまいち曖昧。

軽く検索すると日本でも JUUL を買えるっぽいサイトがあり、それは個人輸入代行業者らしい。いいのかそれは。まあタバコを所持していいのに JUUL がダメと主張するのは難しい気はする。

ニコチンの入ってない電子タバコ、どうして吸いたいのかまったく理解できないけれどこういうのが JUUL 同様「かっこいいもの」になってしまうと面倒くさそうだなー。ニコチンが入ってないおかげで無放地帯らしく JUUL が廃止を余儀なくされた甘いフレーバーもバリバリ売ってるし。

しかし自分が目下気にすべきなのは子が 10 年後とかに JUUL とかのより危険度の高いアメリカ電子タバコに手をださないことなので、日本の電子タバコは厚生省あたりにがんばって睨んでおいていただきたく思います。

などと調べ物をしていたら少し前に JUUL の本が出ていたと知る。Audible してみようかな。

RubberDuckEng

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Eric Seidel と Adam Barth が YouTube で Fuchsia の解説をしていると向井さんが教えてくれた。

Eric と Adam はもともと Chrome の WebKit チームを率いていた二人で、ある時から Flutter や Fuchsia に移っていった。自分もこの二人がなんか新しいことをやるというのでヒョコヒョコついていったはいいが、まさかの Dart Runtime と OS 再発明だったので逃げ出したのが 5-6 年前。自分がしょぼしょぼ Android のコードを書いている間に彼らは OS を出荷したのだった。

・・・という回想はいいとして、このビデオは RubberDuckEng という YouTube Channel がホストしている。RubberDuckEng は Eric Seidel と Adam Barth がペアプロで live coding するという番組で、いまみたらもう 50 回以上やっている。そして各話の再生回数は 100 回前後、というかもっと少ない。Karino2 のプログラム雑談と変わらん。無職ならともかく会社員がそんな再生回数で YouTube とかやっている場合なのか・・・

と疑問を抱きかけるが、見ると続いている理由がわかる: 楽しいからに違いない。

楽しそうなのだよね。Eric と Adam のこの噛み合っているようないないような感じ、よく覚えている。自分が転勤してきた最初の席はこの二人の机のそばで、この人たちはいつもペアプロしていた。HTML Parser を off thread にしたり、Polymer のスクロールを速くしたり。自分の中では Jeff + Sanjay に通じる部分がある。すごいプログラマが成果を出すとき、そこにはしばしば別のすごいプログラマがいるのである。

二人ともえらくなって守備範囲も微妙に違うっぽいから、たぶん二人とももうそんなにコードは書いてない・・・というか Adam Barth は書いているだろうけれど、すくなくとも昔のようにペアプロはしてない。Jeff + Sanjay はそれでも月曜の朝にペアプロをしていた。Eric と Adam はそれを YouTube でやることにしたんだな・・・と勝手に解釈している。

書いているのは仕事のコードではなく、小さなトイプログラムがほとんど。Live coding も (リンクした Fuchsia 紹介ビデオは別にすると)特に前準備もしておらず、毎回一時間くらいモタモタやってる。仕事ってかんじじゃない。目立ちたいとかでもない。ただ週に一回、ペアプロすることにした。そして様子を YouTube で流すことにした。それだけ。それがいい。その友情がいい。


こういうの、なんかできないかなあと考える。

Misreading Chat も Message Passing も、特に後者は友達づきあいの vehicle という面があるけれど、production に重きをおきすぎているせいで継続性や頻度が犠牲になっている。一方で Rebuild.fm 派生 podcast みたいなピュア雑談は自分がやるとエゴによって俗悪化するのが目に見えている。やっぱりなんか作業が伴うのが健全で良いよなあ。Live coding は個人的には気が向かないが、もうちょっとコード的なものが中心にあるのが良い、気がする。たとえば・・・なんだろうね。

コードレビュー Podcast. 相手の書いたコードをターン制でレビューする。ただコードレビューだとあまり楽しさがないので、何らかのひねりは必要な気はする。たとえば相手のコードを勝手に添削するとか、あるいは全然知らない言語でコードを書いてみたり。RubberDuckEng でも (Dart な Flutter の founder である Eric が) Rust を書いてみたりしている

Weekly Standup Podcast. 先週の進捗を報告する Stand-up meeting を番組にする。なんとなく良い良いと思っている。参加者が同じ共同プロジェクトをやっていたりすると楽しいだろうけれど、趣味プログラムだとなかなか難しい気がするね。一方で互いにまったく関係のないプロジェクトの進捗を話し合っても、会話が成り立つのかよくわからない。

Today I Learned Podcast. なんか調べたことについて相手に説明する。これは (pragmatic programmer 的な意味での意味での) rubber duck に近い。論文縛りを外した Misreading Chat といえなくもない。


こう考えるにつけ、Podcast にしろ Blog にしろ説教やら時事ネタへの感想やら書くよりは何らの action や motion が伴う方が健全で好きなのだろうね。自分は。Message Passing はその点がやや残念。そういう残念さを通じた venting もたまには良いものだけれど、それだけだと不健康に感じてしまう。

残業

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ふとしばらく課外活動時間(子の就寝後 2-3 時間くらい)で仕事したらどうなるかな、と一ヶ月ほど試してみた。Boox 向けに書いていた課外活動が失速してしまったり、日中の仕事が雑事に追われて捗らなかったりしたため。つまり残業だな。

結論からいうと、全然ダメだった。

最初の数日は、捗らなかった仕事が進み初めてこりゃいいじゃんとか思ったが、すぐに「雑事」が夜の時間も侵食してしまった。雑事、すなわち性能バグの分析や修正。これらは夜の残業枠ではやらず、もうちょっと生産的な作業、つまり自動化の強化に使いたいと思っていたが、いざ眼の前にバグが積み上がってみるとそれを無視して他の仕事をやる気にはなれなかった。バグ修正の重要性はわかっているだけに、その優先度を無視するのは難しい。

そして時間がない!というと語弊があるけれども、他のことがガチで何もできなくなる。仕事、やることが自明な上に無限にタスクがあるため、いくらでも時間をつっこめてしまう。無限にタスクがあること自体は必ずしも悪いことではないはずだが、眼の前にあるタスク、つまりバグの分析・修正を生産的と感じるのは難しかった。この不毛な時間を減らすべく各種自動化を強化したいという動機で残業実験をはじめたわけだし。生産的ではないが重要とかわけわかんないけど、でもそういうのあるでしょ。

失われるのが課外活動プロジェクトの時間だけならまだマシで、実際にはやるべき家の仕事が後回しになってしまう。家庭崩壊リスクが高まり、良くない。

精神衛生が急速に悪化した。仕事というのはストレスがある。締切のストレスがあるし、それだけでなく性能バグ分析という作業の不毛さも課外活動時間では特に精神を削られる。他人にバグをたらい回すとかさ、やりたくないわけ。勤務時間中にこういうストレスがあるのはさすがに慣れたが、本来それを回復するための課外活動時間で更に心を削られてしまうと厳しい。残業をするまでは自分がここまでストレスに晒されているとは気づいていなかった。

これはいま時期的にチーム全体の仕事の忙しさが高まっているせいでもある(じっさいミーティングすると TPM が死にそうに不機嫌な顔をしている。)あとは仕事以外の家の細事にもいま若干のストレスファクターがあり、それも負担になっている。皮肉なことだが、仕事(や家)が忙しいときほどストレス対策には気をつけねばならず、すなわち残業するのは危険。

なおストレスと言っても、いわゆる「仕事をデタッチできないストレス」つまり仕事以外の時間でも仕事のことを考えてしまうは問題は、多少はあるがそれほどでもなかった。どちらかというと 1. 何も新しい情報に触れられないストレス 2. この時間がない状態で新しい危機が(仕事でも家でも)発生したら積んでしまうという恐怖 3. やりたいことが全然できないフラストレーション 4. 心の余力がないせいでしょうもないインターネットに時間を使ってしまう罪悪感 ... とかそういうかんじ。

そんなかんじでストレスが高まりすぎ、一ヶ月の後半は残業したくなさから子を寝かせた後にそのまま寝てしまう日が増え、結局そんなに働けなかった。ただし寝てるので課外活動もなし。寝て起きたくないとか鬱病みたいでやばくね?まあ朝は普通に起きるんだけど。


ただ自主的な残業を通じた発見もあった。

まず、WFH での残業はだいぶ違うね。家にいるので、会社で残業するより家族へのインパクトがない。家のことをする時間がなくなるとはいえ、すくなくとも夕方の家のルーティン(子の風呂、炊事など)は犠牲にならない。子が寝た後に画面のスイッチを入れればすぐ仕事ができるのは便利。去年もやむにやまれぬ事情から残業した時期があったから知ってたはずだけど、あのときは色々グロッキーすぎて気づいていなかった。

逆に言うと、辛くないな残業ならアリかもしれないとも思った。そういえば去年の年末に仕事のハカソンでスクリプト言語を作ってた時はちょっと残業したけど特に問題なかった。ああいう楽しい要素のある残業ならしてやらんでもない気がする。ただ今はそういうのができる時期でもないし、そういうプロジェクトを考える心の余裕もない。なので残業とかしないでやりすごした方がよい。

一歩さがると、残業してやってもよいと思えるくらい意義のある仕事を考えることには、もっと頭を使ってよいのではないか。「意義」というと社会的価値みたいな話になりがちだけどかならずしもそうではなく、例えば自分にとって学びのある仕事ならやってもよいでしょう。Kotlin 使ってなんかファンシーなものを書くとか、ふだん触れないデータ周りでなんかできるとか。いまはやってるのが性能バグの相手だから苦痛なわけで。

ただ新しいテクノロジを触れるだけだと別に仕事の外でもできるから、そこには仕事ならではのチャレンジがあるとか、認知されやすい成果に繋がるとか、そういう「仕事としての価値」が必要。

今のチームは忙しすぎで自明なやるべきことが無限にあり、あまり深く考えなくても目先の仕事をやっていれば最低限の成果はでる。なのでやることを考えるのをさぼりがち。一方でそういう仕事ばっかりしてると燃え尽きてしまう気がする。なので残業するかどうかはともかく、自分から積極的にやりたいと思える仕事を考えるのにはもうちょっと時間を使って良い気がする。もっというと、残業をするならまず時間を使うべきはそういう「やるべきことを考えること」なのかもしれない。今月はあまりに心が摩耗しててムリだけど、しばらくしたらまた考えてみたい。


ところでさ。新卒で働いてた会社とか「見込み残業」というナゾ制度があり、毎月 60 時間分の残業代が自動的についていた。そして、そんな制度があるくらいなので当然のように 60 時間は残業していた。たぶん 100 時間くらいはコンスタントに残業してたとおもう。

でもさ、60 時間とかすごくね?どうなってんの? 今月の自分、たぶん 2-3 hours x 10-15 days とかでたぶん 30 時間くらい残業したとおもうけど、それでこんなに疲弊してるわけ。60 時間とか到底不可能。まして 100 時間とは・・・。

当時のことを遠くから振り返ってみると・・・。まず、会社にはいたがいうほど働いてなかったね。同僚とだべったりインターネットしたりしていた。まあインターネットは今でもしてるけど、よりアグレッシブだった気がする。今思うとやばいレベルで働いていなかった。限りなく好意的に解釈すると、会社というのは金を稼ぐ以上にソーシャルな空間だった。今はそもそもだべる相手とかいない。自宅勤務がそれに輪をかけている。

あと独身なので残業しまくったあとも時間があった・・・いや、さすがに無い気がするが・・・。たぶん睡眠を削ってなんかやって、会社で居眠りとかしてたな。独身とかいう以前に若さとブラック企業勤務への適応の結果だった気がする。

仕事内容がもうちょっと TL 的にデザインしてコード書くみたいな内容で、自分が熱心だった面もある。仕事のことを、仕事以外の時間もずーっと考えていた・・・時期ばかりではないが、そういう面はけっこうあった。それと比べると今の自分の仕事への熱意のなさよ。


こう考えてみると、残業するしないはさておき今の自分の仕事へのやる気の無さは、会社員を続けていく上で問題な気がする。そりゃ出世もできんわ。

一方でやる気はでないがやるべき仕事が眼の前には山ほどあり、こいつらを無視して「楽しさ」を追求しても成果にはならない感触がある。本来はこういうのはチームとして挑むべき話なのだろうけれど、PM とは音楽性があわない・・・という最近の悩みに帰り着くのだった。そういえば PM との音楽性を乗り切るする手段として残業してみようと思った面もあったのだよな。やれやれ・・・。

まあこの先数ヶ月はやる気ないなりに働きつつ、電話機が出た後の余裕のある時期にやるべきことを課外時間で少しずつ考えるのがよいのでしょう。

まあぱっとしないながら残業への理解が深まったので、それなりに意味のある一ヶ月でした。はい。

Links, 07/03/2021

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日記

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一日一回、時間を決めて日記を書いてみている。一ヶ月続いた。夜、子が寝た後に書く。開きっぱなしのでかい Docs に日付を書き足していく。インターネットに公開はしない。

前は notion に時間を問わずダラダラと箇条書きしていたが、それだと impulsive な呪詛ばかりになりがちなのでやめた。Tweet 的なダメさがある。

久しぶりにいわゆる「日記」を書こうとすると何を書いていいかわからなかったので、適当な日記の本を探して読んだ。そうそう、こういう淡々とした感じだよな・・・。

あまり書くことがない。平日は仕事の話が主で、週末は家族でどこ行った、みたいな。考え事とか愚痴とか、あんまりない。いや、あるにはあるが、別に他人に説明するわけではないので一行くらいで終わる。でも、こんなもんでいいんじゃないかな。概ね気は済んでいる。

いよいよブログを書かなくなるが、それは時間や気力の無さが問題なのであって、それでも日記なら書けるので、むしろ精神衛生を助けているとも言える。


そいえば一時期 WordPress で日記をつけていたことがあるけれど、ひとつの Docs に書いていく方が軽くて良いね。WP 重すぎ。Day One を買収したところをみると、日記としての WP は諦めたのだろうな。残念。

会話の無さ

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向井さんが転職してしまったので仕事中に雑談する相手が減ってしまった。自分は向井さんともう一人 Y 氏との三人、東京から転勤してきた仲間で社内チャットを持っていて、WFH 前はランチとかもよく食べていた。それが割と息抜きになっていたのだが、二人だといまいち話すことがない。そしてオフィスが開くというのに WFH が気に入った Y 氏は会社に来そうにない。会社いってどうすんだ。まあ同僚とランチ食べればいいんだけど、日本語でクダ巻きたいときもあるじゃん。オンラインにせよオフラインにせよ。英語で管を巻くにしても、ちゃんとした人たちが相手だと毒づいたりしにくいのだよね。ニュアンスも制御できないから下手すると Grumpy Non-PC Jerk 発言になってしまうし。

とはいえ同僚は同僚。物理的に出勤し隣席の仲間たちと雑談するくらいがいいのかもしれないという気もする。

オフラインは品行方正にすればいいとして、オンラインではもうちょっと管巻場所が欲しい。チームのチャットは上に書いたような理由でいまいちだし、そのうえ人数が多すぎる。Twitter とかをやればいいかもと思わなくもないが、精神衛生によくないので躊躇してしまう。あと日本に住んでる人とチャットすると意識の重心が日本に近づいてしまって良くない。一方 Twitter にいるベイエリア, US の人はあれはあれでなんともいえない厳しさがあって混じれない。

Facebook はそのへん意外とマシで、最近は週に一回くらい当たり障りのないことを書いてみている。Japanese Parenting Neighborhood みたいの、個人的な趣味という意味では特に接点がない人たちだけれど、そこは生活、親バカねたでも書いておけば良いということにしている。そういうのはあまり blog に書く気にならない。読んでる人の関心とズレすぎるので。FB as a parenting SNS.

個人的な趣味という意味では最近ぼちぼちと HN にコメントを書いており、いま数えたら過去 3-4 ヶ月で 100 件くらいコメントしていた。なお HN のアカウントありユーザ数はぜんぶで 40 万くらい、うち 100 件以上の投稿があるのはおよそ 40,000 件である。つまり 10%-tile くらいはコメントしている(だからなんだ。BQ 調べ。) - HN では自分のことを識別している人は誰もおらず、ただの mob として気楽に雑なことを書けるのが良い。それなりにスレが伸びることもあるし。人としてクソリプは書かないようにしている。といいつつ downvote されたこともあるのでたぶんクソリプしてるんだろうな。

FB も HN もあまり友達と話しているかんじじゃないね。良くも悪くも。

そういえば Message Passing の backstage GitHub repo もたまに会話があり、それは気に入っている。ただ雑談ブログとはいえそれなりに生産の場で、無駄話をする空間ではない。

ただ、こういう限られた目的の場所をいくつも持ち、それぞれのコンテキストに応じて話をすることで、総体としての雑談が達成される・・・というのが健全なオンラインの会話のあり方のようにも思える。雑談のためだけに集うって、Twitter になっちゃうじゃん。そうではなく、まず目的をもったコミュニティがあり、そこに人が集って雑談が生まれる。友達をつくるってそういうことなんじゃないの。Message Passing から新しい人間関係は生まれていないが、方向性としては後一歩な気がしないでもない。そういえばひげぽんは Kaggle をやって交友関係を広げている。ああいうの健全だよな。

誰かと一緒にできる趣味が必要かねえ。