人生最大級に時間がない。朝から子供の相手して、仕事して、家事して、仕事して、寝る。以上。みたいな毎日。一方で「忙しさ」は特に感じない。
忙しさというのはたぶん、予期しない問題や割り込みが起きて、もともとの予定が乱れてしまったときに感じるのだろう。課外活動ゼロの現実が期待値に織り込まれると、何もできないのは別に予定通り。だから忙しいとは思わない。ただ時間がないだけで。
時間がないとも実のところ感じておらず、というのは手持ちの時間 (24h/day) は変わっていない。単に優先度順にやることを積んでいくと課外活動が予算からはみ出てしまうだけ。「時間がない」というのはたぶん、気がついたら一日が終わっているみたいな時間が「どこかに行ってしまう」感覚に紐付いているのだろう。自分は時間がどこにいったかはわかっているので、そういう「溶けてしまう」ような時間のなさは感じない。「課外活動の時間がない」とは感じるが、あるわけがない。だって childcare してるんだから。
仕事の時間が所定の労働時間に届かない事実には frustration や pain がある。これは究極的には失業の恐れである。つまり childcare という目先の obligation と、金を稼ぐという前提の obligation が衝突している。課外活動も潜在的には将来の雇用に寄与するはずだから失われることに恐れはあるはずだが、その寄与の不透明さは目先の obligation にかき消されている。
一方で、これでいいのかと不安はある。疫病は仕方ないが、一方で「仕方なさ」を理由に必要以上にいろいろなことを諦めすぎてはいないか。もうちょっと無理していろいろやった方がよくはないか。「忙しさ」を感じるくらいまで日常にストレスをかけてもいいのでは?
それをやりたくない理由はいくつもある。睡眠を削るなりなんらかの形で時間をちょろまかそうとすると、他のことにしわ寄せるのが目に見えている。それは仕事の成果が減る、ということかもしれないし、妻子の期限が悪くなり関係を損ねることかもしれない。「しれない」というか、このどちらも確実に起こるのが目に見えている。
最近、睡眠を削るという行為は一体なんなのだろうなとたまに考える。いいことなくね?みたいな。ただし場合によっては睡眠を削りたい人もいるのだろうと想像はできた。
- 昼の仕事が世を忍ぶ仮の姿である場合。昼はウェイターだがよるは歌手みたいな。昼の仕事がどうでもいいなら睡眠を削って自分の時間を確保する意味はある。
- このバリエーションとして、自分にとって重要な趣味が脳のフル機能を必要としない場合。たとえばテレビシリーズを binge するみたいのは、割と寝不足でも気にせずやられているように見える。
自分はこれらには該当していないので、睡眠時間は削れない。ただまあ、睡眠削って眠気と戦いながら生きることに意味のある人生もあるにはあるのだろう。
話題がそれたが、睡眠を削れないなら何を削るべきか。
ニュースかなあ。ここ二ヶ月は世の動向が割と actionable な consequence を持っている場合もあったので熱心にニュースを読んできたが、もうそろそろいいかなとも思う。ほんとにいいのはわからないが、ニュースをやめるときには常についてまわる不安なのでこれは「やめてみる」が正解に思える・・・平時であれば。今はどうかねえ。まあいいんじゃね、という気はしているが、やけくそだろうか。
仕事の時間にもうちょっと紛れ込ませる。これも望ましくはないが、ちょっとくらいいかなと思う (Towards (A Bit) More Procrastination)。
相変わらず意味のあることができる気はしないが、小さなところからはじめていくほかなさそう。
課外活動以外にも考えることはある気がして、それをさしおいて自分のやりたいことをやっていいのかという逡巡もある。たとえば子の home schooling をどのように執り行うべきか、きちんと考えたほうがいいのではないか。こういう後ろめたさもなにかをやる妨げになっている。
課外活動にせよこうした問題について考えるにせよ考えていることを書き出して整理する必要があり、そのために今は細かい時間を縫って画面なり紙なりと向かい合う時間がほしい。やはりニュースはしばらくおやすみだな。
会社支給の Pixelbook で仕事をするようになりはや二ヶ月。このラップトップはもともと事実上の procrastination 端末だったが本業に使うようになった結果仕事から procrastination が消えた。基本的にいいことなのだが、なんというか、息苦しい。なにしろ家事育児睡眠以外はほとんど仕事しかしていないので、もうちょっとこう、インターネットとかしたいのだよ。Pixelbook のマルチプロファイルにより個人アカウントのブラウザもあるにはあるのだけれど、リモート開発ゆえの環境の不安定さもあり、あまりプロファイルの往復とかをしたくない。メモリも足りなくなりがちだし。
というわけでデスクの上を整理し、このところすっかり使っていなかった私物の Dell laptop をひっぱりだしてきた。ラップトップを二台並べる滑稽さにもなんとなく抵抗があったが、もうそれはいいです。ついでに勢いで Ubuntu 20.04 もインストール。ブラウザを使えるようにするところまでは 1-2 時間でたどり着いた。他はおいおい揃えていきます。もともと手元にデータを置かない主義なのでバックアップなどの手間がないのに救われた。
やはり画面は二枚ある方が気を散らすには良い。というわけで procrastinate してくぞ!というと仕事中もはやそんな余裕はない気もするが、すくなくとも寝る前ちょこっとゴソゴソするのに仕事環境を mess する心配のない私物 laptop を使えるようになったのは良かった。
ところで Ubuntu 20.04 ゴミのように遅いけど正気なのかなこれ。Crostini なり WSL なりがマトモになったら、もうほんとに Ubuntu とはおさらばかもしれないなあ、と思う。まあ GUI といのは金かけて真面目に人をつけてやらないとすぐゴミのように遅くなるわけで、それ自体は理由はわからないが今となっては驚きもない。ソフトウェア・どうしてすぐに・おそくなる?
とはいえ Chromebook には 15 インチ HDPI 高速 CPU モデルとかでてこなそうだし Windows に適応しなおすガッツもないのでしばらく Ubuntu で暮らすけれど、頃合いをみて Macbook に出戻るほうがいいのかねえ。あとやはり卓上に二台ラップトップがあるだめな人っぽさを軽減するべく速い Chromebox が欲しいなあ。いっそもう自腹でもいいから・・・と思ったが目一杯積んだモデルは $900 か。安くはないな・・・。
とか物欲の distraction をにわかにたのしんだあと、正気に戻って暮らすものなり。
夜シフトに慣れてきたのは良いが、結果として就寝直前まで仕事・・・みたいになっておりほんとに何も他のことができない。昼はジリジリと侵食され、月水は 3.5h, 火木金は 5.5h みたいなかんじ。そこに夜プラス 2 時間。たまに夜にヒマがあっても(仕事の気力がなくても)私用のラップトップがすぐに見当たららないみたいな体たらく。厳しい。仕事のラップトップで私用をしてもいいんだけど、デバイスが差してあるとかの都合で机から持ち歩くのが億劫なのだった。
いつか時間ができた暁にやりたいことを記録しておく。
- Ubuntu 20.04 インストール。OS 入れ直しとかなんだかんだで半日くらいかかるので今は無理。しかしいつまでも 18.04 を使っているわけには行かないのだよ。
- 仕事関係だが直接の依存はない調べもの。色々ある。
- 読書。もう読みたい本をリストアップする気力すらない。
- お手紙活動の見直し。今は虫の息。
- Podcast するなりテクニカルな文章をするなりの課外芸能活動。
- そういえば論文も読みたいな・・・。何かを学ぶことなしに芸能活動だけしても仕方ない。
- RSS の消化。
なんちゅうか、たいしたことない人生だな我ながら。別にいいけど。
そしてやはり child care ナシは厳しいよ。そこに金を払うことで時間を買い、その時間で金を稼いでいたわけじゃん。あまりこれについて考えても憂鬱になるだけだが、一方で書き出さずに置くのも鬱積なので、書き捨ててゆきたい所存。
Reopening Business みたいな議論が世間でも盛り上がっており、勤務先もうっすらとそういう気配がある。しかし social distance つきのオフィス、どれだけ意味があるのだろうね。
まずチームミーティング。できないよね。互いに 6ft 離すとか無理じゃん。上司との 1:1 くらいならでかい部屋でやればいいかもしれないが、1:1 なら別に VC でいい気がするし。出社が解禁される頃には small scale gathering も解禁されているのだろうか。それは・・・いいの?
個人のデスクの間を 6ft 離す・・・ことはできるかもしれない(というか、個人が移動しないという想定なら既にそのくらい隙間はある)。しかし人のデスクに立ち止まって一緒に画面を眺めて作業とかはできない。そして、たとえ 6ft 離れていても人がいっぱいいる室内に長時間 (八時間!) いるとか、微細飛沫防ぐ余地なし。イヤすぎる。
テラスやソファなどの休憩スペース。そういう shared surface は disinfect しないとさわれないわけだが、考え事でウロウロして腰を下ろす度にそのへん拭くわけ?そんなかったるいことするなら共有空間使うの諦めるわ・・・。
食事。6ft 離れた座席の cafe じゃ team lunch も成立せず、そうなるとタダメシを提供する動機/口実が失われる。そもそも空間が足りない。自席でサンドイッチを囓るのが合理的な選択肢になってしまう。つらい。せめて散歩しながら囓るか・・・。間食も、青果やドライフルーツは消えてパッケージされた乾き物くらいしか供されなくなりそう。
特別なハードウェアが必要な人はともかく、自分のようなプログラマに会社という空間の良さは:話す相手がいて、おやつやコーヒー片手にぶらぶら歩いて座って考える場所があって、腹が減ったらタダメシがあって・・・ということなわけじゃん。早い計算機とか広い机とかってのは、家でも(ある程度は)揃えられるわけだから。
けれどワクチンがない世界の socially distant な会社空間にそうした良さがあるとは全く思えない。多少制限があっても WFH の方がマシ。
とか思っていたら, Amazon は早々と 10 月まで WFH 期間の延長を決めたらしい。自分の勤務先も見習ってほしいもんだわ。6 月とかさ。無理でしょ。
一方で WFH の受容は中長期的に福利厚生の削減に繋がるとも自分は思っていて、そこに悲しさはある。
勤務先の手厚い福利厚生の多くは、人々がオフィスで働くことを前提にしている。人々がオフィスに来ないなら、オフィスの厚生を薄くすること自体は理にかなっている。一方で、そこでの削減が自宅ワーカーに還元されるとはどうにも思えない。
オフィス厚生の過剰さは多くが景気のよい成長期の名残であり、良く言えば文化の一部である。WFH に同じような厚生が実現されるためには WFH が文化の一部になる必要があり、しかもその文化が形成されるにあたっては背後に景気の良さがないといけない。これはどちらもむずかしい。WFH 文化は、よほどうまくやらない限り現行の強いオフィス文化と競合する。そして、ただでさえ成長が鈍化しているところに疫病の不景気。気前の良さも期待できない。
従って WFH が文化に根付く期待は薄く、そんな WFH にやってくるのはお仕着せのみみっちい厚生がせいぜいだろう。結局のところ自分の勤務先は pro-office, counter-wfh なのだよな。アメとムチでいうとアメ側がメインなので counter side が強調されることは少ないが。
そうなると勤務先にとっての望ましい展開はあくまでオフィスワークの復帰であって、WFH はそれまでの繋ぎにとどまるのだろう。一方で social distancing の必要性は、一部では一年以上の長期化が見込まれている。そうなったとき何が起こるのだろうか。借りぐらしの WFH が長期化するのか、それとも socially distanced office が定着するのか。後者が期待されている気がするが、先に書いたように自分はその妥当性を信じられていない。一方で借りぐらし WFH を続けるのもあまりうれしくない。
理想的にはリーダーシップが長期的な WFH first に舵を切り勤務先がリモート中心の会社になることだが、完全にファンタジー。
若くて身軽だったら勢いにまかせてリモート中心の会社に転職しそうなところだけれど、そういう元気もない。この悲観的な見通しが実現せず気がつくとなんとなくいい感じになっていることを祈りつつ耐え忍ばせていただきます。Sigh.
追記
勤務先も年末までは WFH ということになったらしい: When Will Companies Let Workers Back Into the Office - The New York Times その他のアナウンスメントを読んだ感じでは、安全性をうやむやにしつつ職場復帰というパターンはなさそうな雰囲気。
最近の平日の一日:
- 6 時ちょっと前くらいに起床、かるくニュースを冷やかした後ひっそり家を出てストレッチ、ジョギング。
- 7 時ちょっと前くらいに帰ってきて皿を拭いたりコーヒー淹れたりなんだり。このへんで妻子起床。スキを見てシャワー。並行して奥様が朝食準備。
- 7 時半 - 8 時ちょっと前くらいから朝食。そのあと子の歯を磨いたり着替えさせたり。
- 9 時から子の preschool video chat 付き添い。30 分ちょっと。その裏で奥様ジョギング。
- 帰宅身支度した奥様に子を引き渡し、10 時少し前くらいから労働開始。
- ただし月曜と水曜の午前中は奥様オフロードのため仕事をせず子供の相手。
- 12 時前後から昼食。日によっては自分が準備するが、基本的にはあるものを出すだけ。週一回くらい出前。
- 13 時 - 13 時半くらいに労働復帰。このへんのタイムテーブルは妻子の行動次第で、たとえば公園にでかけていて帰りが遅れると遅くなる。
- 15 時。妻子とおやつ。30 分くらい。
- 16 時半、仕事を切り上げて子守。
- 17 時半、夕食。
- 18 時半、夕食片付け、猫の世話、子の遊び場片付けなどの家事。奥様は子のねかしつけ。
- 19 時半くらいから仕事の夜ラウンド。21 時過ぎまで。ほんとは二時間働きたいが、疲労のため大抵は 1 時間半くらいで脱落。このへんのどこかで奥様が寝かしつけを終えて登場(起きてこない日もある)。
- 奥様と会話したのち 22 時就寝。
時間割を眺めて振り返るに...
- 労働時間の短さ: 昼間 5h, 夜 1.5h で 6.5h. 月曜と水曜は 4.5h. やはり夜はもうちょっと頑張る必要があるな。家事を手早くやって、7 時くらいから夜シフトをはじめればいいのだろうか。あるいはメールの消化を朝のどこかにねじ込むとか。
- しかし夜に働くのは肉体的にしんどい。デスマ気分。まあデスマなわけです実際。
- 朝のジョギングを復活できたのはよかった。ほんとは更に早起きして朝に仕事したいが、子を起こしてしまう懸念があり断念。
- 課外活動はおろか考え事をする時間もないのがジリジリと精神衛生を削っているが、色々な諦めの結果ストレスカーブはまあまあ flatten されている。
仕事。
- でかいことはやらず、インクリメンタルに成果を出せることに絞って作業。でかい作業をやりきれる見込みがないため。これは今の所機能している。しかしそろそろ大物を狩るフェーズに入らないといけない気もしており悩ましい。
- 労働時間が短いと税金の支払いが厳しい。俺のじゃねーバグの分析、インフラ変更への追従。ミーティング。こういうのは気合や工夫で圧縮できず、やってるだけで一日終わり、本業が進まない。ミーティングは以前に増してスルーするようになった。あまりよくないが、やむを得ないトレードオフ。毎週 coffee chat だの happy hour だのチーム歓談系のイベントが色々設置されているが、全部無視している。子の有無による class divide の深まりは否定しがたい。
- CRD (Chrome Remote Desktop) でクラウドにある Linux の Android Studio を使っているのだが、レイテンシが厳しい。たぶん Comcast のネットワークが音を上げている。最初はターミナルや vscode も CRD 越しに使っていたが、ターミナルは Secure Shell extention, エディタは社内の簡易ウェブエディタに乗り換えた。IDE は仕方ないので耐え忍んでいる。
- そのクラウドでビルドした APK をダウンロードしてくるのに 10 分以上かかり、きびしい。こないだはダウンロード時間が 30 分を超え、思わず仕事を投げ出した。なるべく lab の自動化用を使えるといいのだが、いまは作業が割と探索的なのでそれも難しい。つらい。AT&T なら少しはマシなのだろうか・・・。ただ実際は収集したプロファイルデータを睨んでいる時間の方が長いので、致命的なダメージは受けていないのだった。これが UI 仕事だったら発狂してたね。
- 追記: これを書いたあと Wifi ルータの設置場所、Comcast のプラン、モデムなどを刷新した結果 10 分かかっていた APK のダウンロードが 10 秒くらいになり、帯域の問題は解決した。
- Laptop を Pixelbook から Linux なり Mac なりに乗り換えたいが、在庫不足のため勤務先のラップトップ乗り換えは凍結中。いっそ自腹を切って laptop を買っても割が合うレベルなのだが、セキュリティ上それもできない。おもわぬ大企業税。Macbook Pro 16, オンラインで買えば来週には届くのに・・・いいよ $3,000 くらい払うから買わせてくれよ・・・みたいな気分。書いてるうちになにか抜け道がないか調べていい気がしてきたな。
- 実作業時間を最大化しようとする結果、仕事の方向性とかを一歩さがって考える時間がとれておらず、そこには大きな不安がある。週末の夜にでもきちんと時間をとるべきなのだろうが、おうちの仕事もあるし、もう疲れてて無理・・・。
- 時間がないといいつつ向井さんなど三人くらいで週に数回終業前 20 分くらい雑談ビデオチャットをしている。しかしこれは子守負荷増大前に始めたものなので、今や週一回くらいが妥当かもしれない。
おうち。
- ロードバランスのため最初は炊事を引き取っていたものの、それよりは子守を引き取って欲しいというので炊事はやめ、朝のビデオ授業、夕食準備中、週二回の午前いっぱい子供の相手をすることにした。仕事の捗らなさに輪がかかったが、奥様の精神衛生が回復したので甲斐はあった。Child care をアウトソースできるという子持ち会社員の大前提が崩壊しているのでやむなし。Child を care する機会が増え、子との関係は良くなった。
- 当初は不安などからストレス気味っぽかった我が子、奥様による様々な試行錯誤のおかげで今は見たことがないほどご機嫌に日々を過ごせており、よかった。家族の精神衛生と健康が一番重要というか、大前提なので。
- プレスクールは午前中いっぱいぶんくらいのビデオクラスを提供しているが、最初の 30 分くらいしか参加していない。うちの三歳児にビデオクラスは無理だわ。ビデオクラスに集中できないこと自体は特に問題視していないというか、できるわけねー。画面にむかってちゃんとリアクションしている一部の他所の三歳児をみると感心する。
- 朝 30 分のビデオクラスをしたあとは、おやつの買い物で釣って近所を散歩するなり(自分の場合)どこかの公園に車で行くなり(奥様の場合)して、子の運動量を確保している。午前中は人が少なくてよい。午後は適当に遊ばせている。
- 苦もなく英語を吸収できる三歳児の魔法の時期が過ぎてしまうのが悲しいが、ビデオクラスを無理強いしたところで成果があるとも思えない。我が家における厄災として受け入れている。
- 中長期的には日本語の活字コンテンツ(絵本)の仕入れに苦労しそう。iPad でも買えばいいのかもしれないが・・・・。配達遅れを承知で Amazon.co.jp から投機的に発送してしまえばいいのかもしれない。
- 週末は、午前中に公園なり山なりで軽くハイキングして、あとは家でゴロゴロしている。疫病以前はハイキング先で弁当を食べていたところが違うけれど、それ以外は大差ない。
- Grocery shopping は週一回程度。自分が炊事している間は自分が行っていたが、先週からは奥様が行っている。なるべくオンラインで買い物を済ませ、足りないぶんを補う方向。
近所。
- Grocery stores はだいたいどこも入場制限をしているが、早朝にいけば問題ない。例外は日本食材店で、早朝は営業しておらず週末は大行列。平日の昼は空いているらしいが、平日の昼に買い物をすると労働時間が一層削られてしまい厳しい。なるべく行かずに済ませて欲しいと思っているが、奥様次第。アジア食材の宅配を検討中。
- 隣の公園は人が多い。ジョギングや散歩は公道の方が良いし、公園に行きたいなら住宅地から離れた所が良い。
- 隣人数組が子供同士を遊ばせていたり、公園に行ってもどうみても家族でない人々が連れ立っていたり、social distancing の実施にはばらつきがある。公道や公園で気を使ってくれない人と近距離ですれ違うのがいちばんのストレス。
- 屋外でのマスク着用はまばら。自分はいちおう持ち歩いているが、マスクでジョギングするのは何度かやってくじけ、今は人の少ない早朝に走ることで落ち着いた。
- 地元ニュースをまとめたニュースレターを書いていたが、行動に影響あるレベルのニュースが減り、政治の話が増えて S/N が下がってくるのに合わせ頻度を下げている。これをはじめたもともとの動機は shelter-in-place のニュースを当日に受け取ったのが仕事のチャットルームだけだった事実に端を発する情報不足不安および奥様のコミュニティの危機意識の低さのなんとかしたさだったが、疫病が日常になった今や役割はほぼ終わった気がする。SF Chronicle の subscription は引き続き地元ニュースを読む役に立っている。
子および奥様の状態が安定し、ベイエリアに限れば疫病の加速も収まり、表面的には持続可能性を感じられるようになった。一方で勤務先を含む世の経済は不景気に突入し、自分の仕事の成果もゴミのようにだだ下がりで、暗黙の前提である雇用と金銭的安定は暗雲というか雷雲のまっただなか。世間や勤務先の景気は自分がどうにかできるものではないが、仕事の成果をなんとかするのが次のステップなのだろうとは思う。しかし振れる袖が無い。また時間パズルを解き直す必要があるし、他にもなんとか成果を squeeze out することに頭を使うべきなのだろう。しかし「頭を使う」に必要な時間や精神力がなく、つまりこれが厄災の重荷。
テック業界、疫病の影響で中長期的にはどうなんのかね。主に自分の雇用が関心。
前提として、世の中全体の景気は悪くなる。回復するにしても、数年以上はかかるとする。サービス業は、長期的にはわからないが数年はどうにもならない被害を被る。ここまでは概ね合意があるように見える。
ここからは個人の見通し: テック産業も不景気の影響を受ける。そして基本的に新しい巨大な価値を生むようなイノベーションはしばらく生まれない(インターネットの祭りが終わってしまったから)。疫病による世間の変化で生まれる/盛り上がるニッチなテクノロジーはあるだろうが (ex: Zoom)、あとは従来の既定路線どおり。ただしタイムラインは変わる。
テック業界最大の疫病受益者は Amazon である。別に彼らが悪巧みをしたとかいう話ではなく、構造として。これまでも買い物は店舗からオンラインへのシフトを勧めていたわけだが、疫病によっての移行が桁違いに加速した。別の見方をすると、Amazon がリテールのシェアを一気に奪った。このマーケットシェアの移行は不景気をふっとばすインパクトがある。
Digital Transformation とかいわれているビジネスシステムのクラウド移行も加速するだろう。その受益者も一番手はやはり Amazon/AWS である。Microsoft/Azure も潤うだろう。Google/GCloud も少しは潤ってくれるといいのだが。WFH が生んだラップトップの特需は特に長期的なインパクトはない気がする。会社で使っていた PC が家に来るだけだから。
電話機業者、すなわち Apple とかがどうなるのか。不景気の影響で高い電話機はしばらく売れないだろう。そういう意味で iPhone SE2 は神がかったタイミングで発売されたといえる。景気がよくなるとも思えないがスマホが生活必需品なのは事実なので、脇を締めて乗り切る感じだろうか。このところ iPhone にひきづられて高価格化していた Android 電話機勢はどうするのだろうね、というかやすいの頑張るしかないと思うのが、頑張ってどうにかなるのかはよくわからない。
検索やソーシャルなのど広告業者。きびしい。別に悪いことはなにもしていないが、広告というのは景気の関数なので不景気になると辛い。Amazon が小売からシェアをとるように、疫病が非オンライン広告からオンライン広告への乗り換えを後押しすることはあるのだろうか。わからん。あまり想像できない・・・。広告業者、Google はきびしいなか少しは収益を diversify できている(クラウドがある)のが救い。Facebook のように広告に絞っていると厳しい気がする一方、会社の勢いでいうと Facebook はいまだ圧倒的なので勢いにまかせて乗り切れるのかもしれない。2009 年の Google がそうであったように。
実世界 disrupt 勢すなわち Uber, Airbnb やその仲間たち。ただでさえ上場後ぱっとしていなかったのが、いよいよ厳しい。数年前は実世界への進出がインターネット業界の未来だと思われていただけに複雑な気分。しかし Amazon だって実世界を相手にしたインターネット企業なのだから、別に実世界進出がだめなわけではない。Uber みたいのがダメだったという話だろう。
最近元気だったインターネット企業というと Slack とかのモダンエンタープライズ。このひとたちはどうなのだろうね。DX の加速に便乗できるのか、保守化した顧客は MS とかの手堅い方に流れるのか。
勤務先はどうなるのかね。不景気による広告の目減りをどこまでしのげるのだろう。一年くらいは現金があるので大丈夫だろうが、そのあとの冬の時代をどう生き延びるかをかんがえないといけない。会社がどう生き延びるかではなく、冬の社内をどう生き延びるかという話。
クラウドは相対的に存在感を増すだろう。しかし underdog である事実が変わるとも思えず、ついでにあまり興味がわかない。クラウドを使うのはいいが、中の人には特になりたくない。
電話機は・・・心配。ハードウェア業みたいに金のかかる博打、金がなくなったらだめそうじゃん。もっと OS とかのプラットホームに近づいておく方が安全なのだろうが、あいつらとはほんとに音楽性が合わないのだよな・・・。
検索と広告。なくなることはないが、脇は固くなるのではないのかね。どのみちそんなに興味ないけれど。動画。ユーザは増えているのだろうが、UGC をとりまくきな臭さが消えることもない。
タイミングを見計らってクビにならない場所に軸足を移したほうがよい気がする一方、別に今の仕事は嫌いではないしやることもあるので、雇用のためだけに逃げを打つのは気が乗らない。しばらくは現状維持、クビになったら撤収、くらいのつもりでいる方が地に足ついてる感じがする。
というか、アクションをともなうなにかについて考える心の余裕がない。現状維持で大丈夫と思い込みたい引力が強すぎる。