Spinach Forest

March, 2020

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WFH Week 3

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  • 子の休校がはじまると WFH が生産的なわけがなく、もう普通に働くのは諦めている。ランチも兼ね昼に二時間ブロックをとって、子の相手をすることにした。夕方も 30 分早く仕事を終えて家事育児。でないと奥様が燃え尽きてしまう。他にも細々と割り込みがあるため、実行的な労働時間は 5 時間くらい?それに加えてリモートデスクトップのオーバーヘッドもある。早朝か深夜に埋め合わせた方がいい気もしているが、そんな体力もなし。朝にメールくらいは見るかなあ。
  • 自分のような電話機部門は「突然トラフィックが増える」みたいなことはない(むしろ電話機売れなそうで不安)なので仕事そのものに大きな変化はないが、クラウド部門などは大変そうな様子。自分は仕事と家の板挟みではなく、一方的に仕事にシワ寄せられるだけマシ。もう評定下がってもクビにならなければいいです。嵐が去ったら頑張ります。
  • 子は不安定で、若干退行気味。仕方ない。そのうち適応してくれるといいのだけれど。ようやくちょっとずつ英語を pick up しはじめたタイミングでの休校、ほんとに厳しい。
  • プリスクールは、ビデオチャット経由で色々やってくれている。ありがたいことではある。しかし子の言語の発達は teacher ではなく peer からの刺激が主だったように見えるので、それがほぼゼロなビデオチャットは厳しい。そして母親が一緒なので自立心も育ちにくい。この世代の子は、社会的な発達が一年遅れになってしまうのかもしれない。
  • ずっと家にいるので子との bond は深まっており、これだけは朗報な気がする。
  • 買い物事情。食料品の買いだめはおちついたらしく、細かいことを言わなければだいたい必要なものは買えている。ただスーパーに行く頻度を下げたいので Imperfect Foods という配達サービスに入る。これは奥様の友達の推薦。他も 2 つくらい見たけれど、枠が埋まっていた。トイレットペーパーなどの衛生用品は完全に欠品。ウォッシュレットも売れていることでしょう。
  • ニュース記事をまとめる活動をはじめた。一日 30 分以上かかるので時間の使いみちとして正しいのか微妙だが、一方でニュースをきちんと追えている事実は精神衛生を助けている気もする。寝る前に書いている。SF Chronicle は購読した。メディアとしての好感度は NY Times >越えられない壁> SF Chronicle > SF Gate > San Jose Mercury だが、ローカルな実用性は逆という皮肉。NY Times は、なんだかんだで東海岸の会社だよなあ。その点西海岸な WP でも読むべきなのかもしれないが、どのみち地元ではない。
  • ニュースまとめメールには書いてないが、大統領の無能さがほんとうにやばくてびっくりする。有事においては権力者がちゃんと権力使ってくれないと困るのだが・・・。100 年に一度の厄災に 100 年に一度の無能大統領が重なってしまったアメリカ、かなり壊滅しそう。生き延びたあとの不況でレイオフになる可能性を無視できなくなってきたが、とくに備えられることもない。
  • 株価はすごい下がっているらしいが、あまりちゃんと見てない。証券会社から「loss harvesting が発動したよ」というメールがぼちぼちくるくらい。自分はもともと超保守的な portfolio でここ数年の好景気でもそんなに増えていなかったのだが、そのぶん減り方も世間の人よりは控えめだと思われる。とはいえリタイア可能年が 5 年くらいは遠のいた感じはする。むしろ給与における株の割合が問題で、今年の所得はすごい下がるだろうね。まあどのみちほっとくしかないし、生き延びるのが優先。
  • 生き延びるという点で、喘息の prescription をゲットしておいたほんとによかった。

疎開について考える

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これは二週間くらい前に書こうと思っていたが、だいぶ情況がかわってしまった。

知り合いのいわゆる駐在、留学な人々の中に、帰国を早める人や勤務先から帰国を進められるケースが出てきた。自分も妻子を日本に逃がすことを考えているが、日本がどのくらい安全なのか判断が悩ましい。

子をどこかに逃したいのは健康が心配だからではなく、lockdown/shelter-in-place の影響が厳しすぎるから。三歳児、他の子供と遊べないのは過酷すぎる。2週間前、アメリカ/ベイエリアの shelter-in-place 長期化は明らかで、一方の日本はなんともいえなかった。もし日本が収束に成功するなら日本に返すのもアリかと思っていた。せめて近所の子と遊ばせてあげたい。

しかし今は日本というか東京も lockdown が予想されている(んだよね?)。子を逃がす先候補である奥様の実家は埼玉だけれど、まあ同じだよね。日本の lockdown がどのくらい厳しくなるのかわからないが、近所の子供と遊ばせるくらいはできたらなと思う。でもまあ、普通に考えたらやめたほうがいいよなあ。もっともこれは国の違いというよりは個人の性格の問題で、たとえば自分の隣人の家には他所の子が遊びに来ているのが見える。厳密には違法。

東京近郊も lockdown となると、相対的には spacious で遊具も揃っているこの家にいた方がよい気がする。親も二人いた方がずっといいし。もし日本の情況が、たとえば夏くらいに収束したなら、その頃に疎開させてもいい気はするが、lockdown するフェーズにはいったのならもう長期化するってことだよねえ。

それとは別に、疎開させたいと思ったタイミングで入国できるかも若干怪しい。すでに入管を厳しくしてるっぽいがだいぶ色々混乱しているらしく、その混乱に巻き込まれると辛い。たとえば二週間の self quarantine をする際に親元でそれをやるとなんというか、台無しになってしまう。一方で宿の確保は困難を極めている様相。

疎開は無理な気がしてきた。家にいたほうがよいな。

WFH Week 1

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(金曜日に一週間を振り返りながら書いてます)

月曜日

週末に注文しておいた USB のハブや HDMI ケーブルが届いたので繋いで見る・・・が画面の解像度が上がらない・・・Sigh. 仕方なく USB-DisplayPort のケーブルを注文。しかし低解像度でもラップトップの 12 インチよりは 30 インチの方が目がラク。

SSH tunnel 越しの adb だと systrace はほぼ不可能という結論。やむなくオンデバイスで perfetto trace をとって Linux の VM から pull し、それを Chromebook で表示。そのデータをどっかにアップロードして URL 返すくらいやってくれやとおもっていが、そもそも API もないし機密データをアップロードすることもできない Perfetto UI. Sucks.

洗濯機や皿洗い機がめちゃうるさい。ノイズキャンセルヘッドホンが活躍。

モバイル OS がタッチレイテンシの削減に血道を挙げている一方でデスクトップはリモートでさわってもなんとかなってしまう現実。デスクトップはそのへんラクだよなあ。まあ、あるけどね。遅延。

火曜日

明日から公式に WFH 推奨というメール。予想通り。

画面解像度が低く入力のレイテインシもあるが、仕事は捗る。家には気が散るものがないという圧倒的な現実。WFH の方が働きすぎるという記事を過去に何度かみかけたが、わかるわ。

というか、家で仕事をしないと本当に言い訳の余地なく仕事をしていない。要するに会社にいて働いているフリをするという概念がないので、逆に仕事をしなければというプレッシャーがある。成果主義に体を慣らしてきたつもりだったけど、まだまだ職場という舞台装置への甘えがあったと思い知る。

寝室を片付けデスクを共用できるようになったのでようやく台所から脱出。

水曜日

前日、寝る前にちょっと仕事をしてしまった。寝る前に仕事ができる現実がやばい。睡眠に悪影響が出そうなのであまりやるべきではないが、割と捗るのも事実。

朝から喘息治療のため医者へ。いちおう「朝は不在です」というメールを出す。意味あるのだろうか・・・とおもったが実は上司との 1:1 があったことが判明。しかし医者なのでやむなし。帰りのタクシーでチャットで簡単に報告(「特に問題ないです」)をしたら「あのバグみといてね」と返される。はい。

USB-DisplaPort のケーブルが届いたのでつなぐ。ようやく会社員に望まれる解像度を手に入れた。4k にしたい気もするが, Remote Desktop の圧縮ノイズを目にすると解像度あげても無駄では・・・と思ってしまう。なおリモートでは IDE (Android Studio) とエディタ (VSCode) とちょっとしたターミナルを使い、あとは Chromebook 側で済ませている。つまり全部ブラウザ。

気分転換の散歩、腰が重い理由の一つがわかった。戸締まりが必要だからだな。その点会社の散歩はぶらぶら歩くだけなので friction free である。

話し相手が欲しくなる。チャットだと満たされない何かはある。なんとなくソーシャルメディアをしたい気分にすらなるが、たぶん同じく満たされないだろうからやめておく。奥様に「話し相手欲しくなるね」といったら「なるわよ」とのこと。ごめんね仕事中話しかけられるの嫌がってて・・・。

強い眠気のため夜の仕事はせずさっさと就寝。

木曜日

ワークステーションを再起動してね、というメッセージが出たので再起動したところ動かなくなってしまった。おいおい。仕方なく出社してトラブルシュート。ついでに億劫でやらずにいたクラウドのデスクトップ VM をセットアップ。クラウド VM, 会社の物理マシンより若干レイテインシはあるがそれ以外は大差なさそうな雰囲気。再起動のたびに会社いくのもやだしこれでいいかな・・・。

オフィスに来てみると、フロアの見渡せる範囲で数人。午後になると更に数人増えた。休憩コーナーが従来どおり整備されていて驚く。むしろ人がいないので普段よりおやつの在庫が潤沢。食堂は縮小+衛生管理厳重モードで営業されていた。ま、もうしばらく来ません。

夕方、初のリモートミーティング。これはいつにも増して発言しにくいなー。滑舌やアクセントの悪さからただでさえ発言したくないのに、マイクの動作にも不安があってまた敷居が上がる。なお寝室の mess を映したくないのでビデオは切っている。

ミーティングといえば、チームの誰かが「雑談部屋」みたいなビデオチャット (Meet) のチャンネルを作っているが、帯域も集中力も無駄にする気がして参加する気まったく起こらず。

とはいえこう、疎外感とは違うけれど loop から unhook された感じは否めないねえ。自分は仕事は九時五時という人間なのでそんなに寂しさないけど、仕事の重要度が高い生き方だと寂しい、虚しい気持ちになりそう。

TGIF 動画を見ていたら娘が入ってきて「あのおじさん誰」とか「字だけなの?」とか言ってる。機密情報ですよあなた英語わかんないからいいけど・・・。なお先のミーティングでは  TL の画面にちょっとだけ息子が登場していた。TGIF 登壇の幹部たちは会社っぽい場所だったり自宅っぽい場所だったり、まちまち。

金曜日

夜ふかししてニュースを読んでいたため朝起きて走るのに失敗。しかしあからさまに精神衛生が損なわれているので妻子おでかけ後に走る。この柔軟性はいいな・・・と思ったが、走った直後はさすがに疲れていて仕事が捗らない。やはり朝走るのが一番。

Santa Clara School District が closure を発表。大統領も National Emergency を宣言。それにあわせてついに子のプレスクールも閉鎖。はー。予想どおりだけどいざくると厳しい。奥様と相談が必要だが、そんな時間もない。会社は緊急事態だから勤務は「柔軟」でいいとかいうけど結局人事考課では成果をみられるわけで、板挟み。まあ national emergency なので仕方なし。一年くらいは覚悟しているが・・・。それにしてもものを考える時間も場所もない厳しさよ。

それはさておき仕事。ベンチマークのスクリプト、普段は手元で動かしているがリモートでは動かせないので、自動化につかっている Lab で動かすスクリプトを介して動かす・・・が動かない・・・。手元で動かすには色々小細工が必要なのだが、自分の使っていたワークアラウンドはいつの間にか使えなくなっていた。インフラ担当のひとに泣きついて助けてもらう。しかしこの自動化スクリプトを挟むとターンアラウンドが 10 分以上かかるので、まったく仕事が進まない。きびしい。

自分の仮想終業時刻である17時前に妻子は返ってくるのだが、そうすると17時に切り上げるプレッシャーがより一層高まる。その割の朝は 9 時から働けない。もうね。ちゃんと働くの無理。 まあせいせい寝る前にちょっと埋め合わせますわ・・・。

来週からは大変だが、気が重いなーとか逃避してても仕方ないのでプロアクティブになんとかしていきたい。

Peer Reviews

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人事考課の季節。チームでの tenure が伸びてきたのと隣接チームと仕事をすることが増えた結果、今回は割と多めにピアレビューを書いた(といっても社内的には普通の量)。久しぶりだったので感想。なお社内のピアレビューには大きく「出世用レビュー」と「普段着レビュー」の二種類があり、出世用レビューは一段真面目に書かないといけない。あとは更に気楽な「一言レビュー」みたいのもある。今回は普段着レビューと一言レビューのみ。

まず、できる同僚に「おまえは良い仕事してるぜ!」みたいなレビューを書くのは普段の気持ちを伝える意味でも書いてて気分が良い。ただ「階級の期待値の記述を満たしていることがわかるように書け」と指示されており、そこは難しい。とりあえず自分の気分をバーっと書いた後、肩書期待値表を見ながら事後的に調整している。たぶん良い書き方ではない。

「もうちょっとこうしたら良い」的フィードバック。良い仕事している同僚には「せっかくだからもうちょっと野心的でバーンとした仕事もやろうぜ、こういうのどう?」みたいな謎の励ましフィードバックをしがち。そういう内容は期待されていない気がするが、勢いと野心があってよく働く人々相手にボンクラから言いいたいこととか別にないよね。しいていえば「もうちょっと人の話を聞け」みたいのを言いたい相手はゼロではないが、まあ別に聞かないなりに付き合い方があるので困るというほどではないし。

むずかしいパターン 1. すげーいい仕事をしているが、すげーいい仕事をすることが期待されている階級であるケース。この「ちょういい仕事してるけどそれも給料のうちですよね」みたいな温度感を伝えるテキストはどうかけば良いのかわからん。仕方ないので「すげー良い仕事してるよね!すごいね!」と書きつつ定量的な採点はふつう、みたいになった。もどかしい。

むずかしいパターン 2. 上の逆で、なんかいまいちぱっとしないコード書くなあ・・・と思っていた相手が、大したことを期待されていない階級だった場合。むしろその階級にしは割といいコードだった気もする。この「ぱっとしない」というイメージを払拭するのが難しい。思っていることをバーっとかいても感じわるいだけなので、期待値表の文言を照らしながらなんとなく「この期待値よりはだいぶ良いよ」みたいなドライな記述をした。そして制度が期待しているのはどのみちそういうドライな評価な気もする。しかし書いていて特に盛り上がらない。

むずかしいパターン 3. たいして重要でもない機能のためコードベースを複雑にしている、と自分(森田)が思っている同僚。しかし「たいして重要でもない」は自分の完全に主観的な評価なので、その複雑さは実は割にあっているかもしれない。しかしその複雑さが生み出したバグが自分のところにやってきてその原因究明に追われ本業が進まない、という腹立たしい体験を何度もしているため、自分はその相手を「余計なコードばっかり書きやがって・・・」と恨めしく思っている。ので「もうちょっとコードの品質とかアプリ全体のアーキテクチャとか考慮しませんかね」みたいな苦情をいいそうになるが、一方で難しい技術的な問題を解いているのはそれなりに事実で、あとアーキテクチャ考えるとかは責任範囲外(畑違い)の相手にも思える。うっかりネガティブなレビューを書きかけたが締め切り前に考え直し、期待表と照らしてドライなバージョンに修正。評点も見直した。


たぶんいい仕事をしている相手には(出世用レビューでない限り)心をこめた賛辞を送ればよいのだろう。逆に自分が個人的な主観では好きでない、評価してない相手に対しては階級別期待値表をツールとして使い、個人のバイアスを排して組織の価値観を代弁する。無駄な軋轢を産まないレールとしての階級別期待値表。

いい仕事をしていると自分が評価している、有り体に言うと仕事ぶりを気に入っている相手のレビューに階級別期待値表を使わなくてよいのか。たぶん、ほんとはもうちょっと期待値の記述をベースに書いた方がよいのだろうねえ。自分は期待値表の記述を内心それほど信じていないのでそれよりは心からの賛辞を送った方がよいと思っている。一方で相手にとっては標準化された基準にもとづいて働きの良さを説明してもらえた方が嬉しいかもしれない。つまり、「森田からの評価が高い」よりは「組織にとっての働きの良さを森田が証言している」ほうが良い。どうせなら相手のためになるレビューを書いてあげたい。

しかしそのためには自分が普段から組織の価値観にあわせて価値判断をする必要があるように思える。階級別期待値表の記述を内面化する必要があるというか・・・。

そんなものを内面化してしまっていいのかという倫理的な不安がある一方で、会社員としてはよく理解しておくほうが都合がよいようにも思える。うーむ。良いピアレビュアであるのを諦める、というのも一つの選択だが、はて・・・。

特に結論はない。しいていえば管理職は普段からこういうことを考えてて大変だなと思いました。

WFH Day 1

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CA が State Emergency を宣言し Santa Clara County も警戒を高めてきたのを受け、勤務先も遅まきながら自主 WFH を求めてきた・・・とまではいかないが、したければどうぞというフェーズになった。そんじゃやってみっかということでラップトップと開発用電話機を持ち帰り、家からコードを書いてみる。

Chrome Remote Desktop で会社の Linux ワークステーションにつなぐ。手元のラップトップは Chromebook.  こいつに電話機をつなぎ、公式 Linux VM 通称 Crostini で ADB を動かす。同時に Secure Shell 拡張で会社のワークステーションに SSH しつつ ADB のポートを tunnel する。と、あら不思議。Chrome Remote Desktop の中で動く Android Studio でアプリをビルドすると手元の Pixelbook に繋がった電話機に APK がインストールされる。ちょっと感動。さいわい Linux/GNOME の virtual desktop と Chromebook の Virtual Desks はキーバインドが重ならなかったので、ネストした仮想デスクトップで仕事。

なお Macbook だと普通に手元の Android Studio でビルドできるらしく、チームでは Macbook が推奨されている。そんなこといわれてもなーとおもいつつ、ちょうどラップトップの更新をしていい時期にさしかかっていたので注文。Mac OS とかもう使い方忘れちゃったよ・・・。また別の路線として、会社のワークステーションではなくクラウドの VM にデスクトップを置くのもアリらしい。これはまだ試してない。


疫病疎開の WFH なので仕方はないが、仕事は会社でやるのがよいなと思った。これは意外といえば意外だが「仕事をしたくない」と「会社に行きたくない」を混同しなければ自然な結論に思える。つまり「仕事をする」という現実を受け入れたなら、家で仕事するより会社でする方が良い。自分の場合はね。

一般論はさておき自分の身の上について考える。自分はもともと家で仕事をする気はなかった。書斎もないし、今や自分のデスクもない。たまに趣味でコードを書く時は台所のダイニングテーブルにラップトップを置いて書いている。これはエルゴノミクス的にはイマイチだが、腰痛とか肩こりが辛くなるまえに持ち時間が終わるので現実的にはそれほど困らない。

会社はとうぜんデスクもあるし、でかいモニタもあるし、でかいワークステーションもあるし(そもそもこれが必要なのはコードがでかいせいだが)、インターネットは速いし、そのへんに休憩用のソファも転がってるし、雑談したいならテラスもあるし、考え事をしながら歩き回れる空間もある程度はある。コーヒーもあるし、おやつも無限にあるし、食事もでる。空調もちゃんとしている。まあこれは自宅でも大して困らないけれど。

同僚も同じ空間にいるから、ちょっとした用事で捕まえるのに苦労しないし、コードレビューで押し問答になりかかったらデスクまで歩いていって相手の画面で IDE を開き、ほらここが・・・とかいうこともできる。

翻って自宅はというと、デスクはないし、でかい画面もないし(奥様のデスクにはモニタがあるものの、散らかっていてアクセスできない)、CPU はラップトップだし・・・まあこれは特に困っていないが・・・インターネットは遅くはないもの会社ほど速くないし、休憩で座れるソファは捨ててしまったし(無印の beanbag cusion があるが、ソファのほうが快適)、歩き回るには狭いし、コーヒーは自分でいれないといけないし、おやつは限られているし、食事は自分で作らないといけない。今日は面倒なので昼飯抜きにした。

困った時につかまえる同僚もいなければ、無駄にダベる相手もいない。猫はいるが、こいつらは仕事という観点では邪魔である。そして夕方になると妻子が帰ってきて仕事を続けることができない。8時間働けないだよ。

上司や同僚の目がないならサボってインターネットやり放題じゃん、みたいな仮想問答もありうるが、仕事をしなくても給料をもらえる身分ではないので別にサボりたくはないのだよ。むしろ同僚の目のおかげで背筋が伸びるくらいがちょうどよい。息抜き程度にさぼりネットをするのは、同僚がいようが別に構いはしないし。今日はむしろ選択掃除片付け炊事など家事への圧力というか引力を散らかった部屋や溜まった洗濯物から読み取ってしまい、気疲れした。というか部屋を片付けて洗濯して晩飯の準備までしてしまった・・・。

会社にいきたくない理由としてよく通勤を上げるのを目にする。でも自分は片道キックスクーターで 30min 未満なのでそれほどイヤではない、というか、むしろ軽く運動しつつ音楽なり Audiobook なりの音声メディアも消化でき、仕事のはじまりと終わりを仕切るいい節目になっている。仕事に区切りをつける良いで、歩いて五分で会社より、このくらい距離がある方がいいとすら言える。端的にいうと自分は通勤は割と好きである。

というわけで仕事するなら会社いいとこじゃんと再確認した。仕事のためにデザインされた場所なので当たり前なんだけど。


自分の生活は会社で仕事をするという前提にあわせ最適化されているのだから、これはもちろんまったくフェアな比較ではない。仮に生活を WFH にあわせて最適化するとどうなるだろうと想像してみる。

デスク、モニター、部屋。これは金で解決できる。部屋はすごく高くつくが、一方で今の家賃がすごく高いのは会社のそばに住んでいるからなので、田舎にひっこせば家賃の問題は解決する。ただし田舎に引っ越したいかどうかはライフスタイルの選択だからあまり自明でない。あと各人がそれぞれ空間や計算資源を持つのって、規模の経済にあづかりにくから効率は悪いよね。同じ金を払うなら会社に使った方が良いものが手に入る気がする。コーヒー、おやつ、食事・・・もやはりかねで解決できるし、相対的には安いものな気がする。食事はそうでもないかな・・・。

あるきまわるスペースがない。たとえば自分のアパートは隣に公園がある。気分転換に散歩をするのはどうかと試してみた所、そんなに悪くはない。ただ家を出て公園一周、みたいのはやや大袈裟すぎる嫌いはある。休憩コーナーでコーヒー淹れて返ってくるくらいの粒度で一息つきたいことは多い。書斎から出て台所でコーヒーをいれればいいのだろうか。今日は台所のテーブルで仕事をしていたので想像するのが難しいが・・・。

同僚がいない。これは難しい問題で、人々は ZOOM とかを使って乗り切ろうとしているわけだが、どうかね。隣にいる方がずいぶんラクだよね。とはいえテキストでコミュニケートするのも、皆が慣れているならそれはそれでアリとは思う。東京でブラウザやってたときとか、割とそういうかんじだったし。効率が良いとはいえないが、みな等しく効率が悪いなら自分だけ割を食うことはない。

通勤しなくてよい。これは裏を返すと仕事と家庭の区切り目が薄いということで、自分はあまり嬉しくない。WFH するには仕事場の部屋を隔離しろと各種リモートワークガイドは説いているし、じっさいフリーランスのプログラマもしばしば WeWork 的なのを借りている。やはり仕事と家庭で場所をわけるのは大事なのではないか。個人の性格もあろうのだろうけれど。

たとえば自分がワーカホリック独身者だった頃のことを考えると、仕事と家庭(存在しない)を分離するのはどれくらい嬉しかったろうか・・・。それなりに嬉しかった気がするなあ。会社は家事をせず仕事をできるから良いのと同じくらいに、家では仕事のことを考えなくていい、というと大袈裟だけど、目先の仕事に追われなくて良い。そういう安全な空間として、独身者だろうがなんだろうが職場ではない家は大切な気がする。


家で働く良さについても考えてみる。

まず(妻子がでかけているなら)まったく邪魔が入らない。その静寂の良さはある。これは寂しさの裏返しでもあるが、目の前の問題に集中しやすい面はある。ただし、飽きてくるたときに周辺の雑談に耳を貸してたまに割り込んだりする気分転換ができない対価はある。チャットは、その代替にはなり切れていない。これはチームのリモート成熟度の反映かもしれないが、オンラインであまり盛り上がられてもアンチソーシャルメディア勢としては嬉しくない。

静けさの仲間として、思考の自由度は増す。職場のプレッシャーってあるよね。これは気が散るの双対だけれど、一歩下がって考え事をする上で会社ではない場所にいるのは良い。ただし WFH が常態になったとき、この detachment の魔法が持続するのかはよくわからない。たまにだからよいのかもしれない。

通勤がないのは、自分個人にとっては軽運動兼メディア消費の時間が減るだけなので別にたいして嬉しくないが、家族にしてみればそのぶん家事とかに時間を割ける。効率は良い。

同様に、休憩がてら皿を洗ったり洗濯したり、同僚ではなく奥さんとちょっと話したりというのは、家族持ちとしては悪いことではないかもしれない。仕事の隙間にインターネットするよりは健全に思える。

自分はあまりに通勤会社員に最適化されているのでうまく想像できないが、自宅で働くのに最適化した人生にはそれなりの良さがあるのだろうね。ただ大前提として勤務室・書斎はどう考えても必要そうだなあ。


台所のテーブルで働くアパート暮らし妻子持ちの自分は WFH とどう付き合っていくべきか。

とりあえず目先の疫病疎開中は、ムリなくできる範囲で WFH への最適化をすすめるべきだろうね。それは奥様にデスクを間借りさせてもらうことかもしれないし、おやつを拡充することかもしれない。

疫病が一段落したあとはどうか。ここまでの議論を踏まえるなら会社で働く方が良いというのが正しい結論なわけだが、なんとなく、たまに WFH するのは良いことに思える。妻子がいないタイミングで、仕事で込み入った考え事をする時間に充てる、とかはどうか。

なぜたまの WFH をしたいのか。うまく説明するのはむずかしいが、伝統的会社員のライフスタイルに最適化されすぎている自分になんとなく不安を感じる。無理のない範囲で別の側を test the water しておくと、その伝統的雇用が揺らいだ時にすこしはマシに振る舞えるのではないか。あとは単純に、気分転換かな。会社、たまに息苦しいよね。たまにね。