気分転換にダウンタウンまで30分ほど散歩してコーヒー。今日はずいぶん天気がいい。そしてあたたかい。カルフォルニア、ようやく雨季もおわりそうな雰囲気。天気がいいとそれだけで幸せな気持ちになる。
自転車があったら海岸沿いをサイクリングでもしたいところだけれど、盗まれてからはや数年。ひとりでドライブもつまらないし、近所の公園で昼寝でもしようかなあ。たまに公園にピクニックマットをしいて横になりながらスマホをいじったりラップトップを叩いたりしている人をみるけれど、割と気持ちはわかるね。家より公園の方が気分いい。
ここから半年くらいはいい天気。子供が自在にあるけるようになって初めての夏、ちょっと楽しみだね。去年はまだちょっとよちよちだったからな。
土曜くらいにようやく時差ボケがなおったが、どうしてもたるんでしまう、というか眠くなるね。家族の存在というのは良くも悪くも stimulus なのだなあ。
色々やりたいことはあるが、捗らない。あと二週間で何か少し手も物事を勧められればいいんだけれど。
クルマの警告ランプがついていたのでオイル交換。DIY にはトラブルの予感しかないため近所の修理工でやってもらう。
なんとなくエンジン音が静かになったような気もするがプラシボな気もする。だいぶ長いことしてなかった。やや冷や汗。すくなくとも一年に一回くらいはしたほうが良さげなのでカレンダーに登録した。クルマの定期チェックのときにやってくれていてもよさそうだが、どうなのかなあ。
もうちょっとベイエリア日本人コミュニティへの露出を増やしたほうがいいよな、と思いつつ何もせず何年も経ってしまった。
露出を増やすというのは自分を認知してもらうという面もあるが、それ以上に自分自身の地元密着意識を高めたい。そうしないと、この地に留まろうという意欲を維持しづらい気がする。
生活費の高さや自分の被雇用能力の低さなどから、これらが相対的にラクな東京に帰ることを考えがちだが、いざ帰省で東京を歩いてみると彼の地への適応も段々と失われていることに気づく。人口密度、情報密度、殺伐感、気候、どれも厳しくてストレスを感じてしまう。ひとつには、自分の東京への適応は独身者としてのそれなので、妻子ありでの東京には居場所を作れてないからだろうか。なんともいえないアウェイ感。
ベイエリアに適応できていないのに、東京への適応が失われている。英語ができるようになったわけでもないのに日本語が不自由になっていくのに似たどっちつかずさ。
少なくとも子供が就学するまであと 4 年くらいはこのへんにいたい所存だし、その先もっといる可能性もまあまああるわけなので、こっちがわへの適応を高めていかないといけない気がしている。下手に東京に目を向けると self fulfilling prophecy になってしまう不安がある。
ちなみになんで「日本人」コミュニティかというと、世間づきあいができるほど英語できないからですね。言語バリアで近所コミュニティに入れない。アパート住んでると痛感。
しかしまあ、どうしたもんかなあ。
とりあえず Facebook になんかかくか・・・と考えてみる。ベイエリアの知り合いは FB での活発度が高い気がするので。Twitter にもいるのかもしれないが・・・。
しかしいくつかのレイヤで気乗りしない。まずあまり書くことがない。当たり障りのない家族の話はゆこっぷ(おくさん)が既にいいかんじで書いてくれている。家での活動はほぼすべて家族が関与するため、当たり障りのない自分の話というのは、特に存在しない。
当たり障りのあること。書きたくない。まわりのベイエリア住人、どうにも opinionated な人が多く、しかも思想的にいまいち自分と互換性がないので不愉快な思いをしがち。これはフェアな言い分ではなく、FB のようなソーシャルメディアの上でアクティブな人という bias があるゆえにこうした問題がおこるのだが、FB になんか書く上での本質的なめんどくささなのは事実。一時期はめんどくさい人を除外していけばいいかとも思っていたが、それやりだすとキリがないのだよな。他人とのめんどくささは community に対する exposure すなわち人付き合いから切り離せない。だからこそ当たり障りのない話が重要なわけで。
そもそもソーシャルメディアとか人の醜さを暴くばかりだしやりたくないというのもある。
いま自分は一部の知人の奥さんを除くすべての friend を unfollow している。(これらのおくさんたちは当たり障りのない子供の写真をシェアしてくれるので安心して follow できる。家族写真シェアメディアとしての FB を自分は高く評価している。) それ以外にベイエリアな人たちを follow して、そうした人々の発言に自分を expose するところから始めるというのはどうか・・・と思うが、自分のソーシャルメディア嫌いに加えて opinionated people の発言を読む息苦しさを想像するとまったく気が乗らない。
書いていて思うが自分はまったく非コミュだよなあ。インターネットという空間は、それでも一定程度 like-minded な友人を作ることを可能にしてくれたわけだが、自分がいまやろうとしていることは地理的な proximity に基づいたコミュニティになんとか参加しようという話なわけで、苦手さが際立つ。くわえてベイエリア、なんというかエリートでリア充な人々が多くてあまりに価値観の互換性がない。自分も理論上は大企業勤務のエリートで週末は妻子と外出しているリア充なはずだが、精神性が現実と噛み合っていない。
そういう細部をさておいて一歩さがると、外国人としての寂しさと中年の寂しさが一度に来たという話なのかもしれない。何らかの形で comfort zone を踏み出す必要があるのだろう。あるいは自分の生きづらさを、というと大げさだけれども性格を、受け入れる必要があろう。
ベンチマーク自動化を強化してから休暇に入り、明日からの仕事に向けふとダッシュボードを眺めたところ・・・オイ遅くなってんぞ!しかしダッシュボードのおかげで簡単に怪しい変更を特定できたのでさっそくバグをファイル。これだよこれ!リグレッション警察参上!どんどん取り締まってくぞ!こう明らかにダメっぽい変更を特定できたので成果アピール材料としては上出来であることよ。hotlist つくってコレクションしよう。
本来なら P1 でリバートね、とかいいたいのだがもうちょっと実績が必要。あと自動でアラートあげたいけど、もうちょっと数字を落ち着けないと厳しいな。
一足先に東京から帰ってきたので妻子不在期間すなわち Home Alone 2019 の計画、というほど大げさではないけれど何して過ごすか考える。
去年の記録をみなおすと... (1, 2, 3, 4, 5, 6) 長い病床生活および共働きから復帰したばかりで暇にオロオロしているうちにおわっているな。1. ソーシャルメディアおよびネットをしすぎ, 2. 家事や炊事などのリズムを掴み損ねている 3. プロジェクトを思いつかない 4. 考え事に時間を使っている, といったところだろうか。
今年は日頃から早起きするようになったりある程度考え事をしたりコードを書いたりしているので、去年よりはオロオロせず過ごせる気がする。
大まかな方針としては:
- 平日は早寝をし、朝に活動を集中する。夜の寝る前はインターネッツより本を読むとよいのではなかろうか。インターネッツにしても日記ドリブンで読むものを気にする。
- 朝はまず podcast のノルマを済ませ、そのあとコードを書く。
- コードは今やってるものの続きをやる。
- 週末は、コード書きおよび Podcast 編集をメインに置きつつ気晴らしの外出や調理を挟む。
- 家事
- 家事リストを書いて貼っておく
- 献立計画は一週間単位(か、もうちょっと長期)で立てる。
といったかんじでやればよいだろうか。リスク要因としては去年より一段階仕事が忙しいことだが・・・。うっかり残業しないよう昼間からせっせと働くべし。
- 一回くらいドライブしてもいい気がする
- Mono Lake までドライブとかどうかなーとおもったがヨセミテまだ開いてないね・・・。
- Sacrament くらいならどうか。
- 一回くらい独身勢と社交してもよいのではなかろうか。なかなか普段できないからね。
昔々 BOLD internship という種類のインターンをホストしたしたことがあった。これはマイノリティを積極的に採用してみるインターンシップ、みたいなもので、東京だとそれは概ね女性を採用するということを意味した。
対象が学部生だったのでバーはちょい低め。実際コード書き能力はたいしたことなく(自分の学生時代のことを棚上げした発言)、成果もさほどではなかった。とはいえ翌年ふつうのインターンで帰ってくる人も多く、たまに LinkedIn に通知がくるとかで進路を見ると、大学院に進んだあと今をときめく感じのかっこいい会社でエンジニアしていたりする。自分がホストしていた学生だけでなく、同じ時期に同じ BOLD で採用された別の人も似た感じで活躍してるもよう。すごい。
こういうのを見ると、ソフトウェア開発キャリアにみられるジェンダーの偏りはまだ環境側で改善できることは色々あるなと思う。この人々の技術力がインターン当時たいしたことなかったのは事実で、いま活躍しているということはそのあと頑張った、ということであろう。(実際、ブログとかをみるとえらい頑張ってる様子が伺えるケースもあった。ストーカーじゃないよソーシャルメディアかなにかで流れてきただけだよ・・・。)
学生は、たとえば大学院二年間ガチっとがんばればふつうに一人前以上の実力になれるわけだから驚くべきことではない。しかし「がんばる気になる」という部分で女性の足を引っ張る環境圧があることはジェンダーの議論においてよく知られている。あのインターンシップ経験がそうした環境圧を押し切る助けになったのか、当人たちがもともとガッツある系だったのかはわからないが、いずれにせよすごいなと思う。
一つ大きな反省があるとすれば、自分はだいぶバイアスがあったね。担当したインターンはふつうにおしゃれ女子大生(※差別用語)で、採用してみたはいいがほんとコード書くんかいな・・・みたいな気分は自分の中にゼロではなかった気がする。その気分がバイアスであることはその時点でもわかっていたので補正するよう気にしていたが、十分だったとは思えない。
今もしおなじような立場のインターンを採用したら、自分は「こいつは 5 年後に一定の確率で景気のいいウェブ企業とかのソフトウェアエンジニアとして活躍している」と心の底から信じることができる。その高い期待値を持って接することができる、気がする。
まあ件のインターンさんは自分の雑ホストだったにもかかわらず活躍するに至ったのだから、ガッツある系だったのだろうな。
向井さんがやっているのでみてみたが・・・つらい。なんというか、全国ドヤ顔選手権みたいな辛さがある。こんなんだったっけ Quora... 日本語版が辛いだけかなとおもって英語もみてみたが似たような辛さがあり、かつ謎のベイエリアゴシップみたいのが追加されて余計辛い感じになっていた。
そもそも自分はなぜ Quora にアカウントを持っていたのか振り返って見るに、たぶん自分にもかつてはベイエリアゴシップが楽しい時期があったんだろうな。今はうんざりするばかりだが。別に Quora という存在を批判したいわけではなく、自分の居場所ではないという話。アカウントを削除した。やれやれ。
視覚障害者です、という人から Podcast 良かったよと感想をもらった。図で説明されがちな話題を言葉で説明しているのがよい、という。
なるほどねえ。
自分は特にそうした配慮によって話題を選んでいるわけではないので、そういう役に立ち方をするのは意外で、ありがたいことだが若干申し訳なくもなった。つまり、特にそういう人々のことを気にしてなかったから。
言葉だけで、特に声だけで、伝えるためのテクニックというのはきっと存在して、ラジオの人とかはそういうのをどこかで学ぶのだろうなあ。自分はなにも気にしていない。それには気まずい面もあるが、一方で low hanging fruits がありそうな気もする。なんかちょっと調べてみようかなあ。
少し前から話の構成は準備するようにしたわけだが、音声メディア固有のテクニックというのはどういうのがあるんだろうね。ちょっとぐぐったくらいではわからない・・・。あと自分たちの Podcast は編集とかはそんなに頑張れないので、たとえば音声クリップを挟む、とかは厳しい。自分たちの話の仕方の範囲でできる工夫を探したい。
05:34. ダラダラした上に家事したらこんな時間。寝起きのダラダラを打ち切るアラームを設定しよう・・・。
論文読み。
仕事を真面目にやり、社内 Python インフラの流儀がちょっとづつわかってきた結果、色々と自動化したりちょっとした Web UI をつけたりしたいものが増えてきた。しかしまったく手を出す余裕がない。フラストレーション大。
皮肉なことだが、むかし相対的に(おそらく絶対的にも)ヒマだった時期は、仕事のツールとかでなにか本業以外に書くコードないかなーと探していたものだった。しかしあまりなかった。
一つには仕事がたいしたことなかったから。そして、プロジェクトの他の人もそれなりにヒマだったので草の根ツールがいっぱい書かれていたからでもある。
プロジェクトに繁閑の波があるのは仕方ないが、年に一回出荷するモデルだと閑が足りない。デバイスや OS を出した後はすぐ次のバージョンの計画が始まるし、それ以前になんだかんだで火消しがある。まったく余裕がない。
たとえば自分はいまある種の automation をやっている。こうしたインフラっぽい仕事は、アプリのリリースとは理論的にはまったく紐付いていない。しかしチームのリリースプロセスの都合でアプリのリリースにあわせてタスクをトリアージしたりしないといけない。無駄なストレスがある。そして現実問題、皆がリリースに向けて作業している世界だとインフラだけ timeless とはいかないよね。そのインフラの受益者がリリースに縛られているから。
書いていて改めて思うに、自分はこの「特定のリリースに向けてチーム一丸となって進む」というモデルが根本的に間違っている、というと強すぎるけれども、嫌いなのだな。
各プロジェクトが自分のサイクルで仕事を進める。製品は時を超えた存在で、各リリースは単なる器。この方がモダンだし、色々都合良いことが知られている。その行き着いた先が continuous delivery なわけだ。モバイルの時代になって事情は少し変化したけれども、やっぱり月に一回くらいは出ていってくれないと厳しくね?
しかしこれは年に一回デバイスが出ていく世界とは根本的に相性が悪い。自分はついデバイスが出ていく、と書いてしまうけれども、たぶん感覚的には「出ていく」ではなく「出す」なのだよな。この違いが価値観のギャップを伝えている。勝手に起こるリリースと苦難の果てのリリース。
まあ OS とかデバイスが苦しむのは仕方ないのかもしれないが、上に乗ってるアプリはもうちょっと労なく出て行かせてほしい。しかし今のチームの製品は表面的には APK だけど限りなくデバイスの一機能であってアプリってかんじじゃないね。
この話は過去に何度も書いている気がするけれども、自分の主要な painpoint なのでやむなし。
人事考課の季節(はじまり)。
Self assessment を書いていると、やったほうがいいがやりたくないことといろいろ向かい合わざるを得なくて居心地が悪い。What you could do better というようなセクション。
プログラマとしての生産性を挙げる、というのは必要だなと思っているが、まあ常に存在する問題なので書かない。
タスクの優先度をちゃんとする。これはまあ必要だと思っているが、人はしばしばやるべきことではなくやりたいことを優先したい時があるんだよ!しかし最近は締め切りプレッシャーのためやりたいことは諦めてやるべきことを優先しようとしている。その事実は仕事の満足度を下げているし、しばしば urge にまけて脱線もしている。
関係者に話をつけたりつついたりしてリードする。やりたくない!やりたくない!!ので後でにまわりがち。てかそういうことばっかりやってると TL とかになっちゃうよ?いいの?よくない!しかし一人プロジェクトは自分がリードしないとどうにもならない面はある。仕方ないので後手に回しつつ渋々ちょっとづつやってる。これが永遠の could do better なのは仕方ない。
バグのトリアージ。やりたくない!しかしこれは税金だと思って諦めてる。税率高すぎという不満はある一方、節税マスターになる気もない。
他人の世話になる度合いの小さいプロジェクトがいいなあと思うが、それには実力か運が必要。今はどっちも十分でない。別にアンラッキーだともおもわないけれど。
これは勤務先をともにする人以外にはまったく役に立たない情報だが記録しておく(もうちょっとモダンな会社で働いていれば他に良い選択肢がたくさんある。)
自分のタスク管理をバグトラッカーに集約する、という作業をはじめて数カ月のアップデート。
- この方針自体はあっている気がする。他の選択肢が worse なため。
- Personal Component は良い。同様に private hotlist も良い。どっちも使っている。
- あるタスクを達成するのに必要なステップの扱い。blocking bug を作ることもできるが、作業の粒度が小さい場合はかったるい。かわりに bug の description (というか最初のコメント)に markdown っぽくタスクを列挙しておき、作業ごとに消していくのが良い。つまりバグのコメントを書き換える。追記ではなく編集するのがポイント。追記だと現状のスナップショットがわからないので。
- ある程度大きな作業はいちおう作業予定のドキュメント(design doc といってもいいが・・・)を書き、必要に応じて関係者に送付する。バグからそのドキュメントをリンクし、ドキュメントからも master bug をリンクしかえす。最初は手元のどこかに書いておけばいいと思っていたが、1. ひと目につく前提で気を引き締めて書くとアラが見えやすい。2. バグと紐付けておくとドキュメントの存在を忘れにくい。
- Bugzilla および商用バグ管理ツールのようにバグの階層構造を一覧することができない問題は未解決。
これを読んだモダン会社員は「なぜ X (なんらかのクールなツールおよび github などの機能) を使わないのだろう」と思うだろうけれども、そうしたものが存在しない世界もあるのでそっとしといてちょ。
05:22 @ Starbucks. 今週はすっかりペースが乱れてしまったなあ。来週も怪しいし、その次の週は帰省だし、しばらくはあまり productive でなさそう。やむなし。
Review や blog など。
仕事のストレスの高まりがしんどい。まだ電話機出るまで半年以上(推定)あるはずなのだが、こんなんでこのシーズン乗り切れるのだろうか。
はーもうつらい・・・のでどこかゆるっとしたチームに逃げだしたい気持ちもある一方で、ストレスがあっても多少は勢いのあるチームにいた方が職業人としての精神衛生にはいい気もする。などと考えるとあと 2 シーズンくらいはやった方が良いだろうなあ。ストレスとうまくつきあっていく方法を考えなければ。九時五時勤務のストレスとは何かと思うかもしれないけれども、評価減とそれにともなう収入減への懸念です。
それにしても、かかってくる各種ストレスがエンジニアリング・文化的によくない圧として働いている気がして、これはモバイル部門全体の空気の悪さを説明できる気がぼんやりする。
たとえば、バグの相手をする最適解はどう考えても(直すではなく)他人にたらい回しする、なわけだが、たらい回しされる側になると生産性を損われを実感する。
あとは何でも一年単位で成果にしないといけないせいでインクリメンタルかつ実験的に進めるのも複数年の長期計画も難しい。たぶん何かが間違っている。
表面的に色々間違っているものを指摘はできるが、もっと根深い何かを感じてしまう。たぶんこのストレスが機能していた時期が(最初の頃に)あって、結果として文化に根付いてしまったのだろうなあ。しかしこれ以上深く考えるのは精神衛生上よくないのでここまで。
問題を思考停止によってやり過ごす量が増えていて、これは色々な判断能力を奪っていて危険だなと思う。しかしどうにもならない。
勤続 9 年目突入を祝う自動メールが届いた。勤続 10 年でサバティカルとかないのかなー。大昔はあったらしいが・・・。
9 年という数字にさしたる意味はないが、東京での勤務年数を MV の勤務年数が超えた、というのは一つの節目といえる。はー。飽きたよー。
まあ飽きてる等は自分の問題で、勤務先には感謝してます。
家族病気などの事情により間があき、一週間ぶりくらい?向井さんの都合で録音が一週間あくので準備に時間かかる話ができると期待していたが、ならず。
しかも今日は納税作業。家事などがたてこんで夜に時間をとれる見込みがないまま3月になってしまった。さっさとやらざるをえない。
PDF から株式売買額をひっこぬくスクリプトの正規表現を間違えて 100 倍の過申告をするところだった。あぶない・・・。
Done.
Tax return のストレスというのは、時間かかるというのもあるが(まる一日。自分は細々と数日かけてやってる)、それ以上に正しいのかどうかわからない不安だよなあ。